トップページ ≫ 社会 ≫ プロレス界の盛衰 4の字固めに沸いてから半世紀余
社会
特に埼玉県、さいたま市の政治、経済などはじめ社会全般の出来事を迅速かつ分かりやすく提供。
昨年秋の叙勲で、かつて覆面レスラーとして日本のリングで活躍したザ・デストロイヤー(87歳)が旭日双光章を受章したことで、すっかり薄れていたプロレスへの関心が甦ってきた。1954年に始まった日本のプロレス興行を担ったのは大相撲出身の力道山だった。国民的スターとなった彼の対戦相手としてザ・デストロイヤーが初来日したのは1963年5月で、プロモーターから覆面をつけて試合に出るように言われた。
白覆面の魔王として初戦で必殺技「4の字固め」を披露し、力道山をギブアップさせた。再戦はデストロイヤーの持つ世界タイトルを懸けての試合で、日本テレビで中継された。テレビが家庭に普及し始めた頃で、試合の視聴率は6割前後と記録破りだった。4の字固めが決まるが、力道山が必死にこらえ、危険を察知したレフェリーが試合を止めた。
この時の2人を天井から撮った写真が残っており、力道山の足は4の字を裏側から見た形になっている。デストロイヤーが右足を軸にして技に入ったからで、左足を軸にすると4の字の形になるという。複雑な仕掛けのように見えるが、デストロイヤーはあっと言う間に掛けてしまう。
テレビを見た子供たちは、学校の休み時間などにこの技を掛け合ったが、掛けられたほうはたまらない。スネに激痛が走るという。プロレスの必殺技といえば、フレッド・ブラッシーの噛みつき、ボボ・ブラジルの頭突き、スタン・ハンセンのウエスタン・ラリアットなど数多いが、子供が真似したのは4の字固めやアントニオ猪木の卍(まんじ)固めだ。一見優男風のドリー・ファンク・ジュニアのスピニング・トーホールド(回転足首固め)は、相手の片足を両手でおさえて自分の体を回転させると、相手が悶絶してしまうすごい技だが、素人が真似するには難し過ぎた。
デストロイヤー初来日の年の12月、力道山は赤坂のナイトクラブで暴力団員にナイフで刺されて死亡する。この事件後も彼の来日は続き、豊登、ジャイアント馬場、アントニオ猪木と激闘を続ける。馬場が全日本プロレスを旗揚げすると、日本陣営に加わり、馬場とタッグを組んでファンを喜ばせた。彼の人気に着目した日本テレビは1973年10月からのバラエティ番組「金曜10時!うわさのチャンネル!!」に起用し、ファン層は広がった。
1972年から79年まで日本で暮らし、3人の子供たちは日本語を話せる。米国に帰ってからは、教育学修士の資格を生かし、地元の小学校で体育を教えた。そして20年以上に渡り、日米の青少年交流に貢献したのが今回の受章につながった。
ところで日本のプロレス界は新日本プロレスを創立した猪木の引退(1998年)と翌年の馬場の病死もあり、21世紀に入って急に下降線をたどる。「PRIDE」や「K-1」など総合格闘技団体の台頭でプロレスファンが奪われた。新日本プロレスでメインレフェリーだった人物が「プロレスはあらかじめ勝敗が決まっているショーだ」との暴露本を出したのも影響した。団体内部のゴタゴタも多く、選手の離脱、移籍が相次いだ。団体幹部の経営能力の欠如、そこに付け込む怪しげな経済人たちもいた。
しかし、2010年前後を底に復活しつつある。現在、プロレス団体は100近くあり、それぞれ独自の路線で競っている。1位は看板選手をそろえた新日本プロレスで、有力選手がごっそり「ノア」に移った全日本プロレスに差をつけている。全日本は巨体の選手による王道プロレスを謳っている。逆に中量級の選手を中心に技巧派によるエンタテイメント性を追求しているDDT(ドラマチック・ドリーム・チーム)、デスマッチ中心の大日本プロレスなどもファンをつかんでいる。地方を地盤にしているところも多い。
4の字固めに日本中が沸いたようなブームはもう望めまい。人々の好みが多様化するのに向き合い、プロレスが生き残る道を見つけ出しているようだ。
山田洋
バックナンバー
新着ニュース
- 島耕作、50年目の慶事が台無しに(2024年11月24日)
- 第31回さいたま太鼓エキスパート2024(2024年11月03日)
- 突然の閉店に驚きの声 スイートバジル(2024年11月19日)
- すぐに遂落した玉木さんの質(2024年11月14日)
特別企画PR