トップページ ≫ 社会 ≫ 特別企画 ~水のスペシャリスト下村政裕からのメッセージ~③
社会
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水道事業人生円熟期(Epoch Era into External Work)
~長い葛藤経験と2つの大震災後の復興支援が今の自分を作った~
もっと水道の事業計画策定に携わりたい、もっと長期に国際の現場で仕事がしたい。この2つの思いを強くして、1994年9月にラオスから帰国しました。40歳の時のことです。以来、この2つが、それからの私の後半の水道人生における新たな2つの大きな目標、夢となりました。このうちの国際現場での仕事、途上国への協力活動は、私の2つ目のライフワークとして、未だに位置付けています。
ところが、もう一方の事業計画に関わる仕事は、県南水道、そして2001年の3市合併により誕生したさいたま市水道部、更に政令指定都市化に伴う組織改正で産まれたさいたま市水道局も通して、直接関わる機会は与えられませんでした。40歳前後に、事業体職員という本業での熱血期のピークを迎えてしまっていたと今振り返ることができます。
このある意味での水道事業人生の転換期は、今思えば、ラオスからの帰国後の翌年、1995年(平成7年)1月17日に始まったといえます。あの阪神・淡路大震災です。水道に対する思いは、大震災の応急給水や復旧支援の中で、今までに経験したことも見たこともない悲惨な世界を知ることにより、ますます強くなります。しかしながら本業の現場では思う通りの仕事ができなかったということが、自分の思いを外へと駆り立てました。
余談ですが、阪神・淡路大震災後の復興支援の経験と、その後の震災対策に関わる様々な仕事の経験を積んで、ブラジル、サンパウロから帰国した翌年、2011年に、まさに防災担当として、東日本大震災を迎えることになります。
さて、水道人生の後半の40代は、主に、本業では、水道管の工事現場監督として、50代は、防災や人材育成といった事業展開には欠かせない銃後的な仕事に携わりました。
一方で、40代の後半には、これも一つの夢であった、全国の水道事業体が抱える様々な課題の解決に向けた調査研究活動を産学官共同で行う公益財団法人水道術研究センター(JWRC)への3年間の出向という機会をいただきました。ここで、阪神・淡路大震災から得られた教訓を日本の水道事業にフィードバックする仕事等をすることにより、新たに、日本全国の多くの水道を見つめることができました。特に、当時から大きく問題視されていた、日本の多くの中小規模水道との出会い。この出会をきっかけとして、JWRCから帰任した後も取り組んだ日本の中小規模水道の課題解決に向けた勉強会活動が、所属する水道の長期事業計画に携わりたいという夢が形を変えて、3つ目のライフワークと位置付けるまでの活動となりました。
日本の水道事業は大きな転換期を迎えており、特に、埼玉県の地方部も同様ですが、中小規模水道が抱える課題は、一朝一夕に解決するようなものは何一つなく、長期的な視点で方向性を明確にして、1歩ずつ地道に根気強く解決していく必要があり、そのことのお手伝いを3つ目のライフワークとして、今後もやっていきたいと思っています。
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