コラム …男の珈琲タイム
母が逝ってしまってからすでに30年という歳月が流れた。私は母が好きだった。母は厳しかった。その厳しさは常に愛に溢れた深い海の底から惜しみもなく湧き出てくるものだった。そして母は愛のクッションのようなもので私を受け入れ、慰め、褒め称えてもくれた。母は私の苦しみの安全地帯でもあった。私を母を守護神と思って、幼少から青春を生きてきた。母は日本の母だった。母はおふくろさんだった。森進一が唱う「おふくろさんよ~」というメロディーはまさしく、私の母の姿を彷彿させた。戦争で兵士が死ぬ時、圧倒的に叫んだのは「お母さん!」だったという。「天皇陛下万歳!」は少数派だったということが真実だろう。私は毎朝、仏壇に向かって拝み、「お母さん、ありがとう」と祈り」続けている。もう何十年も欠かさず。母は永遠なのだ。夏の日の私の俳句ノートを開く。「カナカナや 盆しか帰らぬ 母となり」を読み直す。しかし、母は盆しかではない。毎日私のそばにそっといるのだ。母の日。私にとっては毎日が母の日であり、親子の日なのだ。
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