トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ ユダヤ人とイスラム教徒は、血抜きしてない肉を食べない
外交評論家 加瀬英明 論集
キリスト教は地中海を渡って、ヨーロッパにおいて力を得て、ひろまった。そうすることによって、ユダヤ人の部族宗教から、非ユダヤ教徒である、異邦人の世界宗教に成長した。キリスト教はヨーロッパ化することによって、確立した。
キリスト教はユダヤ人の聖書を、神との古い約束として『旧約聖書』と呼び、イエスが降臨した後の聖書を、神との新しい約束である『新約』と称している。
キリスト教はユダヤ教の聖書を、神との古い約束として『旧約聖書』と呼び、イエスが降臨した後の聖書を、神との新しい約束である『新約』と称している。
私はかねてから「ヨハネによる福音書」にイエスの言葉が、ヨーロッパに渡ってから書かれたものと、みなしてきた。
「イエスは言われた。『はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終りの日に復活させる。わたしの肉は誠の食べ物、わたしの血は誠の飲み物だからである。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつものその人の内にいる』」(6-53~56)
今日でも、カトリック教会では、イエスの血を飲み肉を食べる典礼を、「聖体拝礼」と呼んで、ミサのなかで行っている。
だが、ユダヤ人にとっては、生き血と、血抜きをしてない肉は、清浄ではない。
旧約聖書は、神の命令として、血を飲んだり、食べることを、固く禁じている。
「イスラエルの人々であれ、彼らのもとに寄留する者であれ、食用となる動物や鳥を捕獲したなら、血は注ぎ出して土で覆う。すべての生き物の命はその血であり、それは生きた体の内にあるからである。わたしはイスラエルの人々に言う。いかなる生き物の血も、決して食べてはならない」(「レビ記」17―13、14)
ユダヤ、イスラム教にとって、血抜きをしない肉を食することは、神が定めた掟を破ることであって、絶対に許されない。
『コーラン』は、「お前たちに食べることを禁じ給うたのは、死肉、血、豚の血、それにアッラー以外の邪神に捧げられたもの、ただそれだけ」(16―115)と、定めている。
今日でも、ユダヤ人や、イスラム教徒は、牛であれ、羊であれ、時間をかけて血抜きした肉でなければ口にしない。
イスラム教が、ユダヤ教の豚の禁忌を受け継いで、豚がいなくなったために、中東では羊と山羊が増えた。その結果、羊と山羊によって、若い樹木画が食べられてしまい、砂漠化がいっそう進んだ。
パンと葡萄酒によって象徴される聖体拝領は、ユダヤ教、イスラム教の発想では考えられない。おそらくキリスト教が渡来する前のヨーロッパにあった食人習慣を、取り入れたものだと思う。
当時、アルプス山脈の南は、ギリシア、ローマ文明のもとにあったが、以北は蛮族と呼ばれた民族が棲んでいた。蛮族には、食人習慣があった。
ヨーロッパではローマ時代から、葡萄酒づくりのためにブドウが栽培されていたが、キリスト教がひろまって、ミサの典礼のためにいっそう盛んになった。
『旧約聖書』は、体を清潔に保つために、衛生について細かい規定を定めている。古代であるにもかかわらず、優れた医学者ともなっている。
しかし、キリスト教徒は身体的に、清潔でなかった。入浴する習慣がなかった。19世紀に入って、パスツール(ルイス、1822年~95年)が細菌を発見するまでは、めったに体を洗うことがなかったし、衛生観念がまったくなかった。
ジョン・レノンはなぜ神道に惹かれたか 第6章 世界宗教と神道はどこが違う
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