トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ メッカ巡礼を命じる『コーラン』のことば
外交評論家 加瀬英明 論集
イスラム教徒とキリスト教の抗争は、根が深い。キリスト教徒は中世以降にイスラムを大敵としてみてきたために、イスラム教が悪であるという強いイメージが、刷り込まれている。
イスラム教の最盛期には、スペイン、ポルトガル、ハンガリー、旧ユーゴスラビアを構成していたクロアチア、スロベニア、セルビア、ボスニア、ヘルツェゴビナ、マケドニア、モンテネグロから、ブルガリア、アルバニア、ギリシアだけでなく、フランス、ドイツ、スイス、イタリア、オーストリア、ポーランド、チェコ、スロバキアのそれぞれの国の一部も、占領していた。
ヨーロッパはイスラム圏によって包囲されたために、イスラム圏によって呑み込まれるのではないかという切実な脅威を、数百年にわたって感じてきた。十一世紀から十五世紀にかけて、7回にわたった十字軍は、ヨーロッパによる必死の反撃だった。
今日、インドネシア、パキスタン、バングラデシュ、インド、ロシア、ナイジェリアなどの中東以外の国にいるイスラム人口の方が中東のイスラム人口を合わせたよりも多い。
イスラム教もキリスト教がヨーロッパに渡って、在来信仰だった多神教の習慣を取り入れたのと、同じことを行っている。
イスラム教にとって、もっとも神聖な神殿は、メッカにあるカーバ神殿である。
カーバ神殿はイスラム教が生まれるまでは、多神教の神殿となっていて、その主神であるヒュバルに捧げられていた。モハメッドはカーバ神殿を、イスラム教新興の中心として位置けて、受け継いだ。
『コーラン』はこう命じている。
「アッラーの御言葉に嘘いつわりはない。されば、汝らイブラーヒーム(『旧約聖書』に出てくるアブラハムのこと)の信仰に従えよ。彼こそは純正なる信仰の人だった。偶像崇拝のやからではなかった。
人々のために建てられた最初の聖殿はバッカ(メッカのこと)にあるあれだ。生きとし生けるものの祝福の場所として、また導きとして(建てられた)のもの。その内部には数々の明白な御徴がある——(たとえば)イブラーヒーム御立処など(メッカの神殿はイスラムの解釈によると、アブラハムが建てたもので、建築の最中に彼が立っていた石は『アブラハムの足跡』を今日まで残している)。そして誰でも(罪人でも)いったんここ(聖域)に踏み込んでしまえば絶対安全が保証される。そして誰でもここまで旅してくる能力がある限り、この聖殿に巡礼することは、人間としてアッラーに対する(神聖な)義務であるぞ」(3-89,90,91)
カーバ神殿の中央には、二つの石があり、一つは黒石であって、もう一つはアブラハムがその上に立ったと言われる、石である。聖石崇拝は、イスラム教が生まれるはるか以前から、砂漠の民によって行われてきた。
イスラム教徒によるメッカへの巡礼は、『コーラン』によって義務づけられている。カーバは一年の日数をあらわした、多神教の360の神殿によって囲まれていた。イスラム教の、カーバ神殿のまわりを回って祈る儀式も、多神教時代のものが引き継がれている。
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ジョン・レノンはなぜ神道に惹かれたか 第6章 世界宗教と神道はどこが違う
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