トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ 自分たちの宗教を強要しなかったモンゴル帝国
外交評論家 加瀬英明 論集
もう一つの大帝国として、モンゴル帝国が、外へ向かって短期間で急速に膨張した。
1206年に、モンゴル帝国の太祖であるジンギス・ハン(成吉思汁、1162年?~1227年)が、モンゴル民族の部族連合の長となった。モンゴル軍勢がヨーロッパから、中東までせめ入って、広大な地域を配下に置いて、モンゴル大帝国を築いた。
1236年から1241年までに、ロシアのモスクワ、キエフ、東ヨーロッパのブタペストまで攻略して、版図に収めた。
モンゴル軍は弓矢を射るのに長じて、軽快に動き、機動性が高かった。ヨーロッパの重い甲冑をつけて武装した騎士たちは、馬ごと射落とされた。
ヨーロッパの騎士の精華といわれたチュートン騎士団が、ハンガリーでモンゴル軍と対戦したが、まったく歯がたたずに、漬滅した。
ところが、ジンギス・ハンの没後。2代目の大ハン(最高の長)となったオゴディが、1241年に急死した。
ヨーロッパへ侵攻したモンゴル軍の司令官だったバトゥが、跡目争いに加わるために、当時、モンゴル帝国の首都として建設されていた、中央アジアのキルギスのカラコルムへ向かって、急いで全軍隊 を率いて戻った。
もし、オゴディ大ハンが急死することがなく、モンゴル軍隊がそのままヨーロッパ心臓部へ向けて 、怒涛の進撃を続けていたとすれば、パリやローマを含むヨーロッパ全土を制覇していたはずだった。
そうしたら、ヨーロッパにおいてルネサンスも、産業革命も起こらなかったろう。その後の世界の歴史が、根底から変わったはずだ。
一人の死が世界史の進路を、これほど大きくかえたことはなかった。
モンゴル人は大帝国を築いたものの、なぜか、自分たちの宗教を強要することはなかった。イランから中東まで統治したが、モンゴルの支配者たちが、イスラム教徒となってしまった。
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