トップページ ≫ 社会 ≫ 脱猪木路線で急回復した新日本プロレス
社会
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今年3月29日付けの当欄で「プロレス界の盛衰 4の字固めに沸いてから半世紀余」として、2010年前後を底に長く低迷していたプロレス人気がようやく復活しつつあることを報告した。特に新日本プロレスが驚異のV字型回復しているのが最近になって注目を集め、新聞やNHK「クローズアップ現代+」で取り上げられた。
新日本プロレスは1972年にアントニオ猪木が設立し、ストロングスタイルと呼ばれるファイトを標榜し、猪木、藤波辰爾、長州力、前田日明らによって人気を獲得した。1988年には、武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也の闘魂三銃士の活躍も加わり、年間売上げが39億3000万円で過去最高となった。
しかし、1998年に猪木が引退すると、スター選手の離脱・引退が相次いだ上に、「PRIDE」や「K-1」など総合格闘技の台頭があり、ファンを奪われた。2005年には売上げが13億円と低迷し、ゲーム会社ユークスの子会社になり、創立者の猪木の手から離れたが、低迷は続く。猪木の後の世代交代が遅れたのだ。2011年には売上げが11億円にまで落ち込み、翌年、カードゲーム会社のブシロードに経営権が移り、ここから新日本プロレスも反転を開始。
深夜の地上波だけになっていたテレビ放映はBS放送が加わり、さらに動画配信サービスを開始した。選手も新しいスターが続々育ってきて、ファイトのスタイルも変化した。
今や看板スターになった棚橋弘至(1976年生まれ)は立命館大学を卒業と同時に入団し、新日本プロレスのどん底時代を経験している。1人でも多く会場に来てもらうため、プロモーションには積極的に参加した。地方のラジオ番組に出演したり、試合後の宴席や食事会も大事にした。プロレスを知らない人には丁寧に説明して、「機会があれば会場に来てください」と付け加えた。そういう「草の根運動」も仕事と考えていたという。新聞記者を志望したこともあったというだけに発信力も抜群だ。身長181cm、体重101kgでレスラーとしては小柄だが、2mの巨漢選手に何度も吹っ飛ばされても、際どく踏みとどまって逆転勝ちするのだ。みごとな筋肉美と多彩で華やかな持ち技で「100年に1人の逸材」とまで言われている。
内藤哲也( 1982年 180cm 102kg)や飯伏幸太(1982年 181cm 93kg)は体格も棚橋に近く、人気、実力でも競い合っている。イケメンレスラーとして女子に人気があり、テレビ出演も多いオカダ・カズチカ(1987年 191cm 107kg)は24歳で頭角を現した。彼らの活躍により会場に足を運ぶ「プロレス女子」が増加した。
こうして新日本プロレスは昨年7月期の決算で、売上げが38.5億円、税引き後の純利益2.8億円を計上、無借金経営となった。続く18年7月決算は過去最高の売上げ46億円が見込まれている。6月からは、玩具のタカラトミーの社長として業績を急回復させたオランダ国籍のハロルド・メイ氏が社長に就任した。メイ社長は「新日本のコンテンツは優れているので海外でも受け入れられる」として動画配信サービスの海外会員(現在4万人)の増加や海外興行に力を入れる。
個性派ぞろいの選手と敏腕社長が組んで、さらにプロレスを楽しくしてほしい。
山田洋
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