トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ 日本人はなぜ「私」ということばを使わないのか
外交評論家 加瀬英明 論集
日本では、会話を交わす時には、できるだけ「私」といわないようにする。手紙をしたためる時も、「私」という言葉を省くように努めるものだ。
ところが、西洋諸語は「私」が欠かせない。中国語も、同じことだ。
中国語では私を指すのに、「我」〔ウォ〕しかない。英語のI〔アイ〕と同じことだ。あなたは「你」〔ニー〕であって、学生が教授に対しても、「你」を用いる。高位の人に対して、「您」〔ニン〕を用いることがあるが、相手が党書記とか、よほどの高官でなければ使わない。
中国の留学生が日本に来て、困惑することは、中国であれば論文の中で,「私」を連発することになるのに、日本語では、というもの「私」というのを、できるだけ控えなければならないことである。
韓国語も、「私」を「ナ」といい、ほかには目上に対する尊敬語である「チョ」しかない。
私はアメリカの日本文学研究の大きな大御所だった、エドワード・サイデンステッカー教授と親しかった。『源氏物語』と、川端康成文学の翻訳者として知られた。
互いに日本語で話す時は、私は「サイデンさん」と呼んでいた。惜しいことに、故人となってしまった。
川端文学の代表作である『伊豆の踊子』の原作の一節と、サイデンさんの英訳とを較べてみよう。
「東京のどこに家が有ります」
「いいや学校の寄宿舎にいるんです」
「私も東京は知っています。お花見時分に踊りに行って―。 小さい時で何にも覚えていません。」
主人公の高等学校生徒と、十四歳の踊子とのあいだの、やりとりだ。
サイデンさんは、どのように訳しているのだろうか?
〝Where do you live in Tokyo?″
〝In a dormitory. I don’t really live in Tokyo.″
〝I’ve been in Tokyo. I went there once to dance when the cherries were in bloom.
I was very little, though and I don’t remember anything about it.”
原文では「私」は、1回しか出てこない。「あなた」は1度もない。
英訳ではこのやりとりのなかで、「I」(私)が5回、「you」(あなた)が1回出てくる。日本人が読むと、Iが過剰だ。西洋人の人間関係が、表されている。
日本語ではできるだけ「私」と、「あなた」という言葉を、使うことを避ける。私とあなたを、はっきりと分けたくないからだ。
ジョン・レノンはなぜ神道に惹かれたか 第7章 やまと言葉にみる日本文化の原点
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