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先月、毎日新聞夕刊の「美とあそぶ」という欄に信楽(しがらき)調の陶芸作品と見覚えのある顔が載っていた。坊主頭にいかつい顔はプロレスラーの藤原喜明さんで、4回連続で作品が紹介された。記者の質問に答える形のコメントはぶっきらぼうだが、独得の味がある。「完璧に整ったものより、ちょっと欠点があった作品が面白いことがあるんだ」「美しさと使いやすさって、大概違うんだよな」「プロレスと陶芸に通じるもの? 知らねえよ。つながらなくてもいいじゃねえか」
彼は岩手県の工業高校時代から器用さと身体能力を発揮した。1972年、23歳で創立間もない新日本プロレスに入団、総帥のアントニオ猪木選手の付き人になる。働きを評価され、米国フロリダにあるカール・ゴッチ道場での修業が叶う。ゴッチ(2007年没)は無冠の帝王と呼ばれ、関節技では神格化されていた。
ここで毎日6時間の練習、その後のワインを飲みながらの2時間のレスリング講義が繰り返された。関節技は1日に10種ぐらい教わるが、身につかないうちに忘れてしまう。これではだめということで、1日に1つか2つはノートに書き残していった。日本に帰ってから、それを読み直して復習したら、全部理解するのに10年かかったそうだ。技をきめるには何百回、何千回の試行錯誤を経て自分のポイントが見つかるという。
関節技の実験台になったのは後輩の前田日明(あきら)選手や高田延彦選手だった。1984年にこの2人が中心になって、ショー的要素を極力排除して格闘技色を前面に打ち出したUWFという新しいスタイルの団体が誕生すると、藤原選手も合流する。関節技に蹴り、さらにスープレックス(背後から相手を抱えて頭越しに投げ、ブリッジでフォールする技)を主体にしたUWFは熱狂的なファンを獲得した。その後、内部対立などで紆余曲折があっても藤原選手は前田・高田両選手と歩みを共にしたが、第2次UWFの分裂以後は独自の道を進み、69歳の今もいくつかの団体のリングに上がっている。
1986年にはゴッチ直伝の関節技の本を著し、プロレス本としては異例の売れ行きを見せた。当時、出版社の編集者として格闘技本を手掛けていた私は、彼の関節技本の続編にかかわった。挨拶のために東京・練馬の東映撮影所敷地に特設された試合会場を訪れると、夜の薄暗がりの中を案内したり、人を紹介するなど丁寧に応対してくれた。「関節技の鬼」とか「テロリスト」と呼ばれ、おっかないイメージがあったので意外だったし、吃りながら話すのには親しみを感じた。
ただ、本の取材を担当した元自衛隊員のライターからは「いつも関節技をかけられ、痛くてたまらないですよ」と泣き言を聞かされた。「名人からかけられるんだから光栄じゃないか」と思った私は取り合わなかった。同じ頃、プロレスファンの作家、夢枕獏さんの対談集が刊行され、その中に藤原さんとの対談が入っていた。夢枕さんも関節技をかけられ、1か月たっても痛みが消えないとのことだった。これを読んで初めてライターに同情した。
焼き物や絵でも抜群の腕を見せる藤原さんが、プロレス人生で研究を重ねて磨き上げた関節技は無形文化財ともいえよう。
山田 洋
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