トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ 中国、西洋にはない日本文学の特質
外交評論家 加瀬英明 論集
これからの人類は、譲り合わなければなるまい。国と国こそ、そうだ。
西洋人のなかには、日本人が意味もなく曖昧に笑うのが、不気味だという者がいる。そう思うとしたら、浅はかなことだ。笑いほど、大きな贈り物はあるまい。
これは、日本人の長所である。自他の区別を曖昧にするのは、素晴らしいことだ。動機もなく、意味もなく、微笑んだほうがよい。もくろみがあって、微笑むほうが不気味だ。
私は漢詩も好んでいるが、日本の詩と較べて、異質なものだ。
3世紀から6世紀にわたる6朝時代の陶淵明、盛唐時代の杜甫。李白、中唐時代の白居易と、中国の詩人を挙げてゆくと、どの漢詩をとっても、個人の鮮烈な体験をうたっている。
そこにゆくと、和歌や、俳句は、万人に共通する心象を、うたっている。
芭蕉の有名な句である「古池や 蛙飛び込む 水のおと」をとってみると、これは、芭蕉の個人的体験ではない。
誰が作者だったとしてもよい。共同幻想を、うたっている。
英文学、フランス文学、ドイツ文学の詩をとってみると、すべて作者の個人的体験を訴えている。だから、私たちになじまない。
『万葉集』(奈良時代末期に成立)四五三六首の歌を、収めている。すべて個人を超えて、全員が分かちあえる心像が、おおらかにうたわれている。
そのおよそ半分が、〝詠み人知らず″である。無名の庶民が、詠んだ歌である。
8世紀のなかばまでの歌が収められているが、当時から日本の庶民の教養がきわめて高かったことに、感嘆しなければならない。『万葉集』は日本の誇りだ。
日本は世界のなかで、もっとも平等で、均一な社会を形成してきた。
『万葉集』の歌のなかには、合作が多い。このようなことは、中国や、西洋では、考えられないことだ。
ジョン・レノンはなぜ神道に惹かれたか 第7章 やまと言葉にみる日本文化の原点
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