トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ 天災で自分の不徳を責める日本の天皇
外交評論家 加瀬英明 論集
今日、日本は125代目の天皇を戴いている。そして、古代から「天皇に私なし」といわれてきた。125人のなかで、一人として贅に耽った天皇は、おいでにならない。
中国でも、朝鮮半島でも、西洋、インド、中東をはじめとして、世界のどこであっても、皇帝や、王は、贅の限りを尽くした。
中国では易姓革命によって、しばしば王朝が交替した。
易姓革命は、中国古代に発する政治思想である。皇帝である天子が徳を具えており、最高神である天帝から天命を受けて、天下を治めるものとされた。
ところが、中国では天の子である天子が、いったん徳を失うことがあれば、別の有徳者が天命を受けて、新しい王朝を開くことになるものである。
もちろん、徳に関係なく、武力によって帝位を簒奪して、そう称したのだった。どの王朝も当然のこととして天下を私有して、国民の窮状にかまうことなく、国民をほしいままに搾取して、贅に耽った。歴代の皇帝はそれにもかかわらず、誰よりも高い徳を備えているからこそ、天命によって天子の資格を与えられているとされた。
ところが、日本の歴代の天皇は、国土が天災によって襲われると。しばしば自分の過ちであり、徳が備わっていなかったからだといって、反省する。詔を、発している。
平安時代前期の平城天皇(第51代、774年~824年)は、大規模な水害に見舞われた後に、「朕の真心が天に通じず」天災を招いたが、「この災いについて考えると、責任は朕一人にある」といって、詔のなかで自分の不徳を責めている。
このように、天皇が災いの原因を自分に帰している詔は、平城天皇だけに限らず、聖武天皇(第45代)、清和天皇(第56代)など、多くの天皇によって発せられている。
これが中国の天子であったとすれば、仮に海山が避けることがあっても、自分が徳を欠いていると認めてはならない。徳を失うことがあったら、天子として失格して、天命を失うこつとになってしまう。
天皇は日本の祭祀王として、「私」をもつことなく、つねに国民のために祈ってきた。
今日でも、天皇は親しく宮中祭祀を取り行っておられるが、宮中祭祀こそ、天皇を天皇たらしめているものである。
歴代の天皇は、アマテラス大御神の霊性と、天子降霊したニニギノ(瓊瓊杵)命の神格を受け継いだ、現つ神とされてきた。日本の神々は、優しいのだ。
天皇は中国の天子と違って、その上に天帝がいるわけではない。
ジョン・レノンはなぜ神道に惹かれたか 第7章 やまと言葉にみる日本文化の原点
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