トップページ ≫ 社会 ≫ 特別企画 ~水のスペシャリスト下村政裕からのメッセージ~⑰
社会
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近代水道の創設(the Birth of Modern Water Supply)
~近代水道の定義と普及状況~
前回、改めて水道の原点を見つめ直しました。水は、人類にとって欠かすことのできないベイシックヒューマンニーズであり、だからこそ、生きていくために必要な水の質と量の確保は、国が進めるべき重要な国策の一つである。そして、その質と量を確保する手段は、効率性やコストも含めた妥当性の観点からは水道が唯一のツールである。だからこそ、日本でも、近代水道の創設期から、国の方針として国民皆水道を旗印に、具体的な水道サービス提供は、地域の環境に適合し密着した水道施設の経営を強いられるところから、基本的に市町村により行わせることとし、そのサービスの内容や方法をもきめ細かく水道法により規定し、水道行政を司る国、県と実際の事業を推進する市町村等が一体となって進めてきました。
ここでその歴史を振り返ってみますが、その前に、まずは、近代水道の定義ですが、公衆衛生の確保と水くみ等の重労働からの解放の観点から、① 飲料に適する水に処理をする、② 供給途中で汚染されることが無いようパイプを使って水道使用者へ給水する、③ 同様の理由により常時、有圧で水道使用者の蛇口まで、あるいは、建物の受水槽まで給水する、
の3つが近代水道の定義です。したがって、以前にご紹介した江戸の水道は、水処理もされておらず、パイプを使っていたわけでもなく、常時、安全で衛生的な水が供給されていたとは言えないため、近代水道には当てはまりません。
日本でこの近代水道の産声は明治になってからで、1889年のこと。コレラ等の水系伝染病の予防と防火を目的として横浜であがりました。その後、函館(1889年)、長崎(1891年)、大阪(1895年)、東京(1898年)と続きます。いわゆる鎖国明けの港湾都市であり外国人も多く住んでいた場所です。余談ですが、その当時の外国人は、日本人はお風呂好きで、掃除好き、家の中には靴を脱いで上がるし、衛生的な暮らしをしていると感じていたようで、むしろ木造建築で風も強い日本では、大火の方を恐れたという資料も残っています。
さて、その後の近代水道は、莫大な投資が必要であったため整備はあまり進まず、創設から50年たった1940年代に入っても、水道普及率は20%強しかありませんでした。人口が集積してきた多くの村や、都市化が進んだ水道の整備されていないこの当時の都市での人々は、生活排水等で汚染された井戸や田畑への用水を使用しての「水と生活」で、水系伝染病もかなりの猛威を奮っていました。そこで国(当時の厚生省)は、簡易水道国庫補助制度を創設 (1952)。これがトリガーとなって農漁村部に広く浸透する簡易水道ブームが発現し、都市部でもこのことに触発され、更に高度経済成長の波に乗って、水道ブーム (1950年代 ~ 70年代)が到来。給水人口は、1950年代から20年で3倍に、普及率は、1960に50%を超えるとわずか10年で80%に達成し、国民皆水道への道が大きく進みました。そして水系伝染病発生患者数も1950年代、年間20万人を越えていた状況から、水道普及率が90%を超えた1980年には、2千人以下へと大きく減少することとなったのです。
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