トップページ ≫ 社会 ≫ 様変わり、前の東京五輪ゆかりの地
社会
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オリンピック開催まで1年ちょっとになった。マスコミは大騒ぎしているが、55年前の最初の東京オリンピックを知る者としては、あの時の国民的盛り上がりとは比ぶべくもないと思う。敗戦から立ち上がった日本人が初めて催す大イベントに、世界中の人々がやって来るということで、国中が沸き立った。今はオリンピックがなくても街に外国人があふれている。
競技会場の入場券を持っていなかった私は、東京タワーに登って展望台の望遠鏡を国立競技場に向けた。競技は見えなかったが、赤々と燃える聖火の記憶は鮮明だ。
あの当時の興奮をしのぶべく、先日、東京の原宿周辺を歩いてみた。ここには水泳とバスケットボールの会場となった2棟の体育館が建てられた。丹下健三が設計した吊り屋根構造の建物はユニークな外観もあって、人々の目を釘付けにした。内外から高く評価され、大会のシンボル的建築物になった。大きなほうの第一体育館は、今、耐震改修工事のために解体されてしまった。
そこから渋谷方面に少し歩くと、日本のアマチュアスポーツ団体の総本山たる岸記念体育館がある。前のオリンピックに合わせて神田駿河台から移転してきたのだが、四角ばった白い建物はそれなりの威風を備えていた。数十年ぶりに見たら、前より小さくなったように感じた。5階建てでは近くのビルより見劣りするのだろう。ここも神宮外苑への移転が決まっていて、建物は取り壊されるという。
原宿は若者の街とされるが、前のオリンピックの後しばらくは大人の雰囲気漂う界隈だった。おしゃれな身なりの老紳士が表参道を散歩する姿をよく見かけたものだ。そういう人たちが住んでいたのが、駅前の豪華マンション、コープオリンピアだった。オリンピックの翌年に竣工したこのマンションは、最高分譲価格が1億円を超え、億ション第1号とされた。その1戸を先日亡くなった大女優、京マチ子が購入したのも話題になった。ホテルのようなフロントサービス、セントラル方式の24時間全館冷暖房は斬新で、低層階には大型店舗が入る複合用途の大規模マンションだった。
築後54年のこのマンションは今もあるが、落ち着いた暗色の外壁は色褪せ、かつての雄姿とは様変わりだ。1階にあった高級フランス料理店は、カーテン越しに客のシルエットが見え、通る人に羨望を抱かせたものだが、今はそこに眼鏡量販店が入っている。
実は10年以上前より、耐震性等から建て替えが検討され、圧倒的多数の住民から支持を得ていたのだ。しかし、管理組合の総会で議決すると、人数では9割の賛成を得たものの、議決権では建て替えに必要な5分の4に達しなかった。議決権は占有面積がものをいい、建て替えに慎重な低層階の店舗保有者が5分の1を超える議決権を持っていたためだ。
原宿散歩は半世紀余の時の流れを実感する結果になった。
写真説明 日本一のマンションも経年劣化か
山田 洋
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