トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ 「貧」とは財産(貝)を分けること その1
外交評論家 加瀬英明 論集
ヒマラヤの人口68万人の国プ-タンで、GDPに代えて「国民総幸福度」― グロス・ナショナル・ハッピネス (GNH)が、導人された。ところが、人々が幸福を求めるようになったために、かえって自殺者や、鬱病患者が増えているという。
このことは、現状に心謝することなく、意識して幸福を追求すると、不満が増えて、不幸になることを教えている。幸せという言葉を、軽々しく使ってはなるまい。かえって、不幸せになる。
江戸時代の日本は、石田心学で知られる石田梅岩や、二宮尊徳をはじめとする、優れた経済学者を生んだ。二人とも、農民だった。あのころの経済学は、道徳学だった。
西洋に目を転じれば、「国富論」のアダム・スミスは、グラスゴーの大学の倫理学教授だった。
西洋でも、物質的な豊かさが増大した結果、経済学が、飽くことのない欲望の学問となった。いま、経済学を心学と呼ぶだろうか。
妻や、子どもが家事を助けて、無償で行なう家庭内労働は、先の爺婆の暮らしのように、金銭が介在しないから、GDPを脹らませない。
さまざまな場で、ボランティアとして無償で働く若者や高齢者が増えているのは、喜ばしい。無賃労働は金銭に換算されることがないから、 GDPに関わらない。
結局のところ、GDP 信仰は、金銭を何よりも大切なものとするものだ。
「貧乏」という言葉はいまでも通用するが、赤貧を洗うような「貧乏人」が、 いなくなってしまった。赤貧の赤は、何もないという意味で、ひどく貧しくて、何ももっていないことだ。
かつて「貧苦」は、その人の顔や、姿勢に表われたものだった。いまでは、ホームレスも、にやけた顔をしている。
いったい、豊かさは呪いなのだろうか 人は貧しさと戦うことは知っていても、豊かさと戦う術を、いまだにみつけていない。
ジョン・レノンはなぜ神道に惹かれたか 9章 失われた日本人の面影
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