トップページ ≫ 社会 ≫ 型破りな政治家を育んだパワフルママ
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7月の参議院選挙で注目されたのは、れいわ新選組とNHKから国民を守る党の健闘だった。しかし、「N国」党首は当選後、不可解な行動を続け、10月27日の参議院埼玉選挙区補欠選での惨敗で一時の勢いは吹っ飛んでしまった。片や「れいわ」の山本太郎代表(44歳)は重度障害者の候補者2人に議席を譲った形になって議員ではなくなったが、メディアへの登場が増え、街頭で演説すると多数の人々が集まり、熱気に包まれる。早ければ年内の解散が囁かれる中で、次期衆議院選挙に「消費税を5%に下げる」を野党の共通公約にと訴える山本氏が立候補すると見られている。
少し前まではタレント出身とかポピュリズムという見方が多かったが、今は政党代表として正当に評価され、その支持者を含めた勢いは無視できなくなった。単なる人気だけでなく、本人自身も政治家としての力を培ってきたことも確かだ。
2015年の安保法制国会での山本氏の質問と政府側答弁を収録した『みんなが聞きたい 安倍総理への質問』(2016年 集英社インターナショナル刊)を読むと、彼の質問は奇を衒ったものではなく、的を射た正論だと分かる。質問内容は事前に綿密に調べているはずだ。首相がはぐらかすような答弁をすると、すかさず切り返していく。感情が高ぶって時にはきつい表現になることがあるが、礼儀正しさは失わない。
国会での質問で最も留意しているのは、テレビ中継を見ている人にストーリーとして理解してもらえることだという。そのために質問全体の構成を何度も検討した上で、本番では緩急も心がける。最初は低姿勢で入り、相手の言いたいことを聞いておいて、その話の矛盾点を突く。かつて彼自身も政治に無関心だったから、政治や国会に興味がない人の気持ちをくんで、退屈しないような流れにしたいそうだ。
兵庫県宝塚市で育った山本氏が高校1年の1990年、テレビの人気番組のオーディションに合格し、それがオンエアされたことで退学処分寸前になったが、鬼軍曹のような母(父とは幼時に死別)が「自分のやりたいことをやりなさい」と言ってくれて芸能活動が続けられた。その後、収入面ではよかったバラエティタレントに見切りをつけ、役者の道へ。演技を認められ、複数の映画で助演男優賞を受賞した。深作欣二監督(故人)と井筒和幸監督から強い影響を受けたという。
そんな彼に一大転機をもたらしたのは2011年3月11日の東日本大震災による福島原発事故だった。以前から環境問題に強い関心を抱き、原発にも漠然とした不安があった。事故後、悶々としていたが、決断して4月10日の高円寺のデモに参加した。母に反対されると思ったら、「自分も行く」と言い出し、押しとどめるのに苦労した。
フィリピンの貧しい子供たちの里親になって面倒を見ていた、パワフルで正義感の強いこの母の教えが彼の考えや行動に及んでいるようだ。小学生の時から母に連れられて姉弟で何回もフィリピンに行き、里子たちと1か月も一緒に暮らした。
デモ参加でそれまで自分の中で抑えていたものが一気に噴出した。反原発を表明すると、所属事務所に電話が殺到し、業務にも支障をきたした。決まっていた仕事もキャンセルされた。事務所の事情を考え、自ら辞めた。収入は10分の1までダウン。
しかし、ここからいろいろな人との出会いにより、手探りだった彼の目指す先が定まってきたのだ。2012年の衆議院選挙(東京8区)では次点に終わったが、翌年7月の参議院選挙で東京選挙区に出馬し、当選をはたす。型破りな彼の生き方には今後も目が離せない。
山田 洋
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