トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ 小泉八雲が描いた「稲村の火」 その2
外交評論家 加瀬英明 論集
話の主人公は、この村の荘屋の浜口五兵衛 (史実では濱ロ儀兵衛)で、入江を見下ろす小高い台地に住んでいた。そのまわりに、五兵衛の稲田がひろがっていた。
戦前の教科書のなかで、「稲むらの火」はつぎのように始まっている。稲叢は刈った稲を積み重ねたものだ。
「『これは、たゞ事でない。』
とつぶやきながら、五兵衛は家から出て來た。今の地震は、別に烈しいといふ程のものではなかった。しかし、長いゆったりとしたゆれ方と、うなるやうな地鳴りとは老いた五兵衛に、今まで経驗したことのない不氣味なものであった
五兵衛は 自分の家の庭から、心配げに下の村を見下した。村では、豊年を祝ふよひ祭の支度に心を取られて、さつきの地震には一向氣がつかないもののやうである。
村から海へ移した五兵衛の目は、忽(たちま)ちそこに吸(すい)附(っ)けられてしまった。風とは反對に波が沖へ々と動いて、見る々海岸には、廣い砂原や黑い岩底が現れて來た。
『大變だ。津(つ)波(なみ)がやって來るに違ひない』と、五兵衛は思った 此のまゝににしておいたら、四百の命が、村もろ共一のみにやられてしまふ 。もう一刻も猶豫は出來な>い。
『よし。』
と叫んで、家にかけ込んだ五兵衛は、大きな松明(たいまっ)を持って飛出して來た 。そこには 取入れるばかりになってゐるたくさんの稻束が積んである。
『もったいないが、これで村中の命が救へるのだ』
と、五兵衛は、いきなり其の稻むらの一つに火を移した。風にあふられて、火の手がばっと上った。 一つ又一つ、五兵衛は夢中で走った。 かうして、自分の田のすべての稻むらに火をつけてしまふと、松明を捨てた。まるで失神したやうに、彼はそこに突立ったまゝ、沖の方を眺めてゐた。
日はすでに没して、あたりがだん々薄暗くなつて來た。稻むらの火は天をこがした。山寺では、此の火を見て早鐘(はやがね)をつき出した。
『火事だ。荘屋さんの家だ。』
と、村の若い者は、急いで山手へかけ出した。續いて、老人も、女も、子供も、若者の後を追ふやうにかけ出した」
その直後に、巨大な津波が村を呑み込んだ。五兵衛のために、村民がみな助かった。
村民は、五兵衛老人が生きているのにもかかわらず、浜口大明神として神社をつくって、祈った。 日本では、人と神との境が曖昧である。
ハーンは日本人の心性の高さに、魅了された。
そして、日本の西洋化が進んでいるのを嘆いて、口癖(くちぐせ)のように、「耶蘇が悪いのです」
と、いった。耶蘇はキリスト教のことであるが、西洋化という意味で使っていた。
いまでは、世界中で津波を、tsunamiと呼ぶようになっている。ハーンが全世界に、ひろめたものだった。
ジョン・レノンはなぜ神道に惹かれたか 9章 失われた日本人の面影
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