トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ 言葉とともに日本人から失われた大切なもの その1
外交評論家 加瀬英明 論集
戦後六十余年たって、なつの言葉を借りれば、「我が国振のふるきを厭いて」、心のもちかたが変わるなかで、大量の日本語が捨てられた。
美しく晴れあがった日は、快い。江戸時代から、天晴(あつば)れという意味で、「日本晴れ」といったものだった。
だが、先の戦争に敗れて以来、「日本晴れ」から、「日本男子」まで、多くの言葉が失われてしまった。「父上」「母上」「兄上」「姉上」「孝行」「家門」「家名」「家訓」「家風」も、その例である。
徳冨蘆花 (小説家、 1868年~1927年)の『思出の記』に、新婚の男女が話し合って、「家憲」を定める場面が出てくる。いまの夫婦に、そのような責任感が、あるだろうか。
もはや「家」は、祖先代々から伝わった血によって結ばれた一族集団ではなくて、ただ住宅だけを意味している。「家」も、家屋しか意味しないから、兎小屋か家畜小屋のようなものだ。
「孝行」とともに、親や教師や、雇い主や先輩や、国に対する「恩」という言葉が、死語になった。
「駆け落ち」という言葉も、なくなった。それだけ恋が、つまらないものになった。駆け落ちは、恋人たちが家のしがらみから脱して思いを遂げるために出奔する、美しく真剣な行為だった。いまの男女は、親にも、家にも属さないから、動物に近くなった。
今日では「心中」という言葉も、「無理心中」以外に使われなくなった。相思の男女が生命を懸けて恋することも、 一身を犠牲にして国を護ろうとすることもなくなった。生命に価値がなくなった。
「手鍋」という言葉は、どこへ行ってしまったのだろうか。ついこのあいだまでは、「手鍋提げても」といったものだった。「手鍋暮らし」といえば、貧しいが、はりつめて生きることだった。
「奉公」も、死語になった。人に仕えることもなくなった。仕事も、聖なる営みだった。
「苦学」も、「苦学生」も死語になった。 コンビニでも、 スナックでも、どこでも安易に稼げる。
人が罰(ばち)当たりな生活を送っているが、「罰当たり」という言葉も、なくなってしまった。時代とともに新しい言葉が造られて、古い言葉が捨てられてゆく。
明治初期に、「愛国」「義務」「個人」「社会」「恋愛」をはじめとして、おびただしい数の翻訳語が、日本語に加わった
対米戦争の前夜には、国民が奮い立った時代を反映して、「決意」「献身」をはじめとする、新語が造られた。この二つの言葉は、今日でもよく使うが、あの時代を振り返る人はいない。
ジョン・レノンはなぜ神道に惹かれたか 9章 失われた日本人の面影
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