トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ 仄暗さのなかで花開いた平安の女流文学
外交評論家 加瀬英明 論集
東日本大震災を境にして、国民のあいだで贅沢を自粛しようという気持ちがひろまった。計画停電にあわせて、駅や、コンビニや、百貨店、ホテルなどのあらゆるところで、節電が奨励されるようになった。
私は節電によって、照明が落とされてから、『源氏物語』を思った。
『源氏物語』は繊細な感覚を使って、人の心の動きや、さまざまな微妙な色彩を、美しい言葉を用いて描いている。『源氏物語』の時代には、陽が落ちてから、室内や、廊下が仄暗く、静かに落ち着いていたはずである。
いまから正確に数えて1013年前の日本で、何が起こったのかといえば、西暦998年に紫式部が大恋愛をした末に、十九も歳上の藤原宣孝と結ばれた。藤原宣孝は中級の役人で、式部は二十七歳、初婚だった。
二人のあいだで一人の娘をもうけたが、宣孝は二年ほどで死んでしまった。式部は宮中に、働きに出た。今様にいうと、OL生活をしながら『源氏物語』を書いた。
『源氏物語』は、人類史上初めて女性が書いた小説である。
平安時代では、才女たちが絢爛たる筆を競いあった。日本は「女性の時代」にあった。当時の著名な女性作家を挙げると、紫式部のほかにも、『枕草子』を書いた清少納言がいる。清少納言は二十四歳で結婚し、その後何回も、結婚を重ねた。
『和泉式部日記』の和泉式部は、結婚したのが二十歳だったが、再婚はしなかった。紫式部も、再婚していない。
和泉式部は、たいへんな発展家だった。同時に、四人の恋人をもっていたということから、浮かれ女―浮気ばかりしている、浮ついた女―として、当時、批判されていた。
また、『源氏物語』を読んで触発された菅原孝標女は、『更級日記』を残した。初めて結婚したのは、三十三歳だった。
あのころの日本では、女性は十二歳か、十三歳で結婚したから、今も昔も、才女は晩婚なのだろう。
当時の世界を眺めてみると、日本以外の国では、ほとんどの女性が男に従属して、文盲だった。日本の女性は、高い教養を身につけていた。
ヨーロッパで女性が初めて小説を書くのは、十八世紀まで待たなければならない。中国、朝鮮半島、インドなどでは、もっと遅い。
いまから1000年以上前の日本は、女性が才能を競いあっていた、世界できわめて稀な国だった。
日本では、なぜ、女性が活躍できたのだろうか。日本では、もともと女性が、大きな役割を担っていた。
日本の至高神は、女性の神のアマテラス大御神である。1000年前の日本では、女性の高官も珍しくなかった。地方長官は世襲制で、国造といったが、女性が少なくなかった。
仄暗い明かりのなかのほうが、女性は力をだせるのではないだろうか。
今日の女性たちは、明るすぎるのに化粧が濃すぎて、美しさを削いでいる。
かつて日本の女性は、世界でもっとも優れていた。
明治維新を成し遂げ、日本が開国を強いられた後に、日本をたちまちのうちに先進国にまで押しあげた男たちを育てたのは、日本の母たちだった。戦後の日本の発展をもたらしたのも、母たちの力によるものだった。
日本の女性は芯が強く、健やかで、誇り高く、忍耐強かった。子どもたちに徳目を伝えた。
ジョン・レノンはなぜ神道に惹かれたか 10章 いまこそ心の復興を
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