社会
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昨年の大みそかのNHK紅白歌合戦でAI(人工知能)技術によって美空ひばりが登場して新曲を披露。故人が甦ったような映像には賛否両論が巻き起こった。年が明けて1月12日にはかつて東宝の青春スターだった青山京子が亡くなった。『潮騒』(共演・久保明)、『哀愁の街に霧が降る』(同・山田真二)などが懐かしい。
この2人と最も縁があったのが俳優で歌手の小林旭だ。ひばりは初婚の相手、再婚相手の青山とは最後まで苦楽を共にした。今では太って、すっかりオッサンになった(それでも81歳には見えない)小林だが、1950年代後半から60年代にかけては、石原裕次郎とともに日活映画の看板俳優だった。西部劇風無国籍アクション映画の『渡り鳥』シリーズが大ヒット、このシリーズに敵役の拳銃使いとして出演していたのが、1月18日に亡くなった宍戸錠だ。
小林と関わりのあった人たちのニュースが続いたが、若い時から強靭な肉体を誇り、マイトガイと呼ばれた彼にはまだまだ踏ん張ってもらいたい。体を張って演技する彼に、2人の結婚相手より先に一目惚れしたのは日活女優だった浅丘ルリ子。彼女は体育会系が好みで、後に結婚した石坂浩二のような文学青年タイプはもともと苦手だったと自伝の中で述懐している(2000年末に離婚)。小林のほうもその気になり、浅丘の父に直談判で2人の結婚を申し込んだという。時期尚早を理由に断られたことで傷付き、以後は疎遠になっていった。
その後に美空ひばりとの出会いがあった。交際は終始ひばりのペースで進み、ついには彼女の「父親代わり」という山口組3代目が登場、その後押しで1962年に結婚へと事が運んでしまった。その辺の事情は著書『さすらい』(新潮文庫)などで明かしている。
彼は結婚に関しては保守的なほうで、ひばりにも「家内としての役割をきちんと守って欲しい」と注文を出していたが、彼女の母親を中心とするファミリーには独自の方程式があって、一緒になってもその中に組み込まれてしまった。入籍をしなかったのもその一例で、結局2年足らずで離婚記者会見となった。
この頃、テレビが急速に普及し、人々の足は映画館から遠ざかり、映画産業は斜陽化していく。小林も1967年4月に日活を退社するが、この年、スターボウリング大会で江利チエミから紹介された青山京子と結婚する。彼女は3歳年上で、「傍にいて安心感を与えてくれ、支えにもなってくれるだろう」と思ったという。
幸せをつかんだ家庭にもピンチが襲った。ゴルフ好きが高じて、自分でゴルフ場開発を手掛けたが、経営にはズブの素人だ。オイルショックもあり、工事は進まず借金だけが膨れ上がった。金策に奔走し、身の危険さえ感じ、妻子は知人の別荘に隠した。1976年、負債総額14億円でお手上げとなった。
この借金地獄から脱出できたのは歌のお陰だった。その筋の連中の監視下、地方のキャバレーのショーで歌うのを1年ほどやらされていたら、倒産前に発売した『昔の名前で出ています』の売れ行きが伸び始め、スーパーヒットとなったのだ。
何年か前に私は調布市の元・日活撮影所を訪ねた。学生時代、小林旭の退社直前にここでアルバイトをしたことがあり、盛り場を模したオープンセットなどがある広大な敷地に入るのは楽しみだった。その後、経営母体が代わり、建物なども昔の面影はないが、撮影所独得の活気は健在だった。
山田 洋
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