トップページ ≫ 社会 ≫ 愛らしき巨星、金子みすゞとコロナウイルス
社会
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今から97年前の1923年に、巨大地震・関東大震災を経験した二十歳の愛らしい女性がいた。彼女の名は金子みすゞ。伝説的な詩人である。みすゞにとってはこの年が人生の転機でもあり、その創作期間は震災後の5年間に集中している。
関東大震災から88年後の2011年に、再び日本を襲った巨大地震は東日本大震災である。重たい自粛モードが続く中、繰り返し読まれた一編の柔らかな詩が話題となった。それはACジャパンのCMで、作者は奇しくも金子みすゞ であった。詩のタイトルは『こだまでしょうか』だ。歌手のUA(ウーア)さんの朗読の声と一体となった「こだまでしょうか、いいえ、誰でも」は、日本中をほっこりとこだましたものだ。
2020年。今年は新型コロナウイルスという「見えぬもの」による大災害が生じ、その脅威が世間を席巻し続けている。金子みすゞは『星とたんぽぽ』の中で「見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。」と綴っている。時節柄、 見えぬもの、すなわちウイルスを連想する人もいるだろうが、少し落ち着いて『星とたんぽぽ』の詩を読んでみよう。金子みすゞが詩の中で「見えぬもの」としているのは「昼間の星とたんぽぽの根っこ」だ。それらは、普段は人々が見過ごしてしまっている大事なものの比喩とも言える。みすゞの詩を通じ、長らく見過ごされてきた大事なものたちに触れると、その度毎に新鮮な勇気を獲得できるのだ。金子みすゞが綴った「見えぬもの」は、触れることで危険な目に遭う恐れのあるウイルスとは異なるものだ。みすゞの詩には、触れることで安心を得られる独特なぬくもりの世界が存在している。
金子みすゞ自身も、辛い日常生活の中、見えぬ大事なものたちを確認しては心を律する、ということを繰り返しながら生きた女性と思われる。しかし、見えるものと見えぬもの、どちらも見え過ぎた鋭敏なみすゞは、春のある日に、たった一人で旅立ってしまった。かの大詩人、西條八十から「若き童謡詩人の中の巨星」と絶賛されるほどの才能の持ち主だった金子みすゞ。二十代半ばを過ぎたばかりの短き人生だった。
新型コロナウイルスの治療薬は、昼間の星のように眼にははっきりと見えぬ状態が続いていたが、ようやく少しずつ絞れてきたようである。愛らしき巨星、金子みすゞは没後90年を迎えている。もしもまだ存命であれば、今月で117歳だ。 もう姿こそ見えぬけれども、彼女の詩はいつの世も、また今の世にこそ、あたたかい特効薬となって人々の心に根付いていることは確かだ。
葉桜 こい
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