トップページ ≫ 社会 ≫ ぶれることなく貫かれた生き様 ある医師の物語
社会
特に埼玉県、さいたま市の政治、経済などはじめ社会全般の出来事を迅速かつ分かりやすく提供。
カルロ・ウルバニ。この名前をご記憶されているだろうか。先日ウィルスとの闘いの最中において、今振り返るべき過去の教訓として、2004年のNHK特集【世界を救った医師-SARSと闘い死んだカルロ・ウルバニの27日】が再放送された。ご覧になられた方もいらっしゃるだろう。
ウルバニ氏(1956年〜2003年)はイタリアマルケ州の出身。1990年台には国境なき医師団のメンバーとして活躍、WHO(世界保健機関)採用後はベトナムハノイにおいて寄生虫感染症対策の専門家として従事していた。2003年2月28日、ハノイのベトナム・フランス病院に流感の疑いで入院した中国系アメリカ人をその2日後に診察。氏はこの患者の病状が予想を遥かに超えて急速に悪化した推移からただならぬものを感じ、早期の段階から感染拡大の防止、医療スタッフへの患者との接触状況の聞き取り調査、及びサンプルの試験所送付に矢継ぎ早に取り組んだ。WHOはその組織の特性上、従来にない感染症の急速な蔓延が強く疑われる場合においても、国家からの正式な要請を受けてからでなければその当時国での活動は許されていない。当然の如く、初期段階ではベトナム政府は経済分野への影響等を懸念し、その腰をあげる事はなく、WHO本部では生の情報を取る術を持たない中、氏はその地からただ一人世界に対して警告を発し続けていた。彼は困難な状況にも背を向けず立ち向かう事、また助けを求める人々がいればそれに寄り添う事を人生の指針にしていたという。ベトナム保険省との直接交渉で早期の感染症対策の実施を確約させた後、会議出席の為訪れたタイのバンコクでSARS発症。3月27日、この地でついに帰らぬ人となった。ウィルスと遭遇して僅か27日後の事だった。
17年後の今またこの時にも、世界中の至る所で医療従事者は粛々と自らの使命を全うしている。ただ頭が下がる想いである。ウルバニ氏の人生に通底し続けた人の善性を信じ、この困難に対してそれぞれの応分の役割を全力で果たす事は我々の責務である。
改めて天命を全うされたひとりの医師の魂に祈りを捧げたい。
小松隆
バックナンバー
新着ニュース
- エルメスの跡地はグッチ(2024年11月20日)
- 第31回さいたま太鼓エキスパート2024(2024年11月03日)
- 突然の閉店に驚きの声 スイートバジル(2024年11月19日)
- すぐに遂落した玉木さんの質(2024年11月14日)
特別企画PR