トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ 危機にふんばる生命力がない
外交評論家 加瀬英明 論集
このところ私はリーダーシップ論に関心を持っている。
日本にリーダーシップがあるかないか、ということは単に文化的な問題であるだけでなく、日本が一九八〇年代から九〇年代にかけて生き残れるかという、やや力んでいえば国家にとって基本的な問題がかかっているように思われる。
結論から先にいってしまえば、国民の一人ひとりにリーダーの素質がない国には、ほんとうのリーダーシップが生まれないものなのだろう。
昨年七月に全国高校野球大会を控えて、野球部員が喧嘩したことが外に漏れ、全国高校野球への出場を取りやめなければならなかったことから、外部に漏らした疑いをかけられた、埼玉県の高校の男性の教員が自殺するということがあった。
テニス部の部長だったという。この教員の写真を新聞でみると、明朗で逞しいスポーツマンのようなタイプに写っている。四十三歳だった。新聞の報道によると、実家の裏の畑のなかで黒こげになって死んでいるのが発見されたという。ガソリンをかぶって、焼身自殺をしたのだった。
「家族の話では、六月二十六日の野球部員のけんかが表ざたになったことで、同教諭が外部に漏らしたと疑わ
れ悩んでいた。この不祥事件が報道されて以来、同教諭の家には、同一人物と見られる男の声でたびたびいや
がらせの電話もかかっていた。また、中村さんは電話が終わるたびに校長に報告し、『私ではありません』と
いっていたという。同署では、疑いをかけられ、悩んだ末の自殺とみている」
(朝日新聞、昭和五十三年七月四日夕刊)
中村さんは自殺した教員であり、県立上尾高校に勤めていた。記事中では同署というのは北埼玉郡の加須署のことである。
上尾高校は、高校野球では〝名門校〟であるらしいが、一人の分別のある男がたかが野球ぐらいでというと野球ファンには悪いが、自ら命を絶つとはちょっと信じにくい。もっとも誰でも無意識のなかで死への衝動をいだいているものだが、私はこの記事を読んだ後に、この教員はたまたまスランプに陥っていたので、おそらく他のことでも引き金となって死んだのではないかと思った。
新聞の社会面で轢き逃げを苦にして自殺したとか、あるいはサラ金の借金が嵩んで一家心中したというような記事をしばしば見かけるが、野球をめぐるいさかいから死んだ教員にせよ、サラ金のために一家心中する家族にしても、人生に対してあまりにもひ弱いのではないかと思うのである。
中村教諭にしても、どなり返すぐらいの生命力があってもよかったはずである。日本人にはふんばるところがないようなのだ。どうも人間としての存在感が薄いようである。
個性の時代 ミーイズムのすすめ 一章「ミーイズム」のすすめ
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