トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ 演歌は集団からの脱出を感じさせる
外交評論家 加瀬英明 論集
演歌には、日本民族の情念がこもっている。だからこそ私たちの胸を打つのだ。哀調が大きな特徴である。音楽的にいえば、ペンタトニック―五音階が使われている。ピアノの黒い鍵盤だけをたたいてゆくと五音階となる。ギリシア、トルコ、アラブ世界からアジアまでの音楽の旋律は、みなそうだ。スペインのフラメンコの節まわしも、スペインが回教徒によって長く占領されていたので、アラブの影響が強くあって、アジア的な哀しさがある。ペンタトニックは、ドビュッシーの作品のなかにも使われている。
私はカイロの街角で、夜ホテルに帰る途中に、人々が外にたむろして、そのなかで何人かが楽器を弾いて、歌っているのに行きあたったことがあった。曲も、歌も平板なものだった。いつ始まって、いつ終わるのか、わからないようなものだった。私は足を止めて、聴き惚れた。空に星がまたたいていた。私は冷たい夜気のなかで、ここにも私たちと同じ旋律があると思った。
しかし演歌の特徴は、五音階だけにあるのではない。テーマや、歌詞にもある。島倉さんに「『悲しみの宿』や、『東京だョおっ母さん』がいいですね」といったら、『悲しみの宿』は一千曲記念なのです、と教えられた。『悲しみの宿』を例にとると、恋する男と添うことのできない女が、北日本の海岸をひとりで彷徨うというものである。
曲が始まると、まず語りがある。「悲しみに耐えかねて旅に出ました。あなた、私は今、北日本の小さな宿にいます」というものだ。それから「波の音に目覚めて、二度と眠れないのよ。北の海は今夜も暗く、荒れているわ。生きていても私は、仕方ないの今では、好きなあなたにあげた命だったの」という歌う部分があってから、また、語りが入る。「幸せはなぜ短いの、そうして悲しみはなぜすぐに来るの」幸せは短く、悲しみはすぐに来てしまうのだ。
こういった歌詞は、演歌に典型なものである。強い自己否定が行われている。だから暗いものである。日本では個人という概念が希薄であり、自分が属する集団のために、つねに自己を犠牲とすることを強いられて生活しているから、自己を否定することは、人々の共通体験に訴えることができるのだ。
そして日本ではこの歌のように、ひとりさすらうことや、別れにロマンがある。さすらいや、別れを歌ったものが、あまりにも多い。ほとんどの日本人は家族関係から、先輩後輩の関係、勤務先といったようにいくつかの同じ集団に一生涯属して、がんじがらめになった人間関係によって縛られて生きている。「「北の宿で三日も泣いていたの私、帰るとこはないのよ、暗い海が呼ぶだけ」(『悲しみの宿』)というように、歌の主人公は虐げられていて、薄幸である。ところが同時に、「帰るところはない」、「悲しみに耐えかねて旅に出ました」という時には、それまでのどうしようもないような人間関係から抜け出した開放感がある。
このような歌は、格別、恋をしている者でなくも、私たちの胸を打つところがあるものである。『悲しみの宿』の二番の歌詞は、「夜はいつか明けるわ、どこにひとり行きましょう。北の宿で三日も泣いていたの私、帰るとこはないのよ、暗い海が呼ぶだけ。あなたひとりに生きた女だったの。あなたに抱いてほしいの、一度だけでいいから、好きなあなたにあげた生命だったの」というものである。親子関係、勤め先といった人間関係によって幾重にも縛りつけられているのだが、そのような人間関係から抜け出してしまったら、帰るところがなくなってしまう。日本人は集団に強く帰属しているのだ。そして一度は抜け出してみたいと欲望がある裏では、そのようなしがらみに対して強い執着がある。このようなしがらみのなかでないと、生きてゆけないということを、よく知っているのだ。
私はアメリカや、ヨーロッパの流行歌を調べてみたが、別れや、さすらいのロマンを歌ったものはほとんどない。個人や家族や、勤務先といった集団から、日本の場合よりもはるかに自立しているからなのだろう。もっと人々が自由なのだ。親子関係も互いにもっと独立しているものだし、会社に対する帰属心だって日本のように強いものではない。転職は、それほどの大事件ではない。「どこにひとり行きましょう」というような、演歌独特の哀しさはないのだ。
日本の演歌には、〝波止場もの〟や〝海峡もの〟が多い。しかし、人間関係のしがらみがないと生きてゆけないから、そのような関係に後ろ髪を引かれる人間でなければ、これほどの迷いや、哀切を感じることはないだろう。私たちは集団に、自分を預けてしまっているところがあるのだ。新しい人生を求めようとして、馬の背に一枚の毛布を畳んで乗せて、気軽に次の町へ向けて走り去るアメリカのカウボーイであれば別れや、さすらいにことさら躊躇したり、ロマンを感じることはなかっただろう。
個性の時代 ミーイズムのすすめ 二章 「演歌」にみる精神構造
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