トップページ ≫ 社会 ≫ 人物評価に関して、神の視座への考察
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去る5月に起きたミネソタ州での黒人へのあるまじき事件をきっかけに歴史上の偉人たちに与えられている評価への攻撃がエスカレートしていると聞く。
具体的に一例をあげる。今回やり玉に挙げられているトマスジェファーソンはアメリカ建国の父の一人であり、かつアメリカ独立宣言の起草者、中心人物として歴代大統領の中でも長きにわたりアメリカ国民の非常に深い尊敬を一際集めてきた人物である。
ジェファーソンは奴隷貿易に反対の立場を取っていた。独立宣言草稿時にも国際的な奴隷貿易に反対する一文(成立過程で削除)を入れていた程である。一方ヴァージニア州の大農園主としての彼は、実際には約200名の多くの奴隷を抱え、その誤謬をつかれた形である。
名文家であり、ジョン・ロック由来のすぐれた自然権論者でもあった賢人として扱われる一方、この事象を一貫性の無さと捉えてられて、現代に至るまで繰り返し批判されてきた。それがエスカレートしている訳である。
こうした後世からの後出しジャンケン的人物評価については一旦立ち止まる必要がある気がしてならない。この批判の根拠は現代人が端的にいえば2世紀も前の先人に対して現代と価値観を共有していないとの一方的かつ独善的非難の側面があり、合理性に欠けていると言わざるをえないからである。当然のことだが、政治的言論の醸成と価値観の融合には、属した時代特有の澱がべったりと貼り付き、また往時の生活様式が深く依拠している。そのことに対して他時代の人間が時代を超越し、神の如き視座から批判することには反対する。今風にいえばこれはポジショントークの一種ともいえ、先人に対する敬意を欠く失礼な振る舞いにあたると考える。
この事はまぎれもなく奴隷制度が非人間的行為であり、絶対に認められない制度であるとの現代の共通認識と相矛盾するものではない。価値観とは長い年月をかけて行きつ戻りを繰り返し、スパイラル上に少しづつ歩みを遂げて形づくられてきたものであり、一日にしてなるものではない。それは今後とも変わることなく続いていくだろう。
もしこの神の視座からの批判を我々が無条件に受け入れるならば、後世、現代人もまた強い批判を受けるのは必定となる。一例をあげれば地球環境に対する知見を有しながら、ここまで具体的策を取る事なく破壊を重ね続けたその行為において。
人物評価の毀誉褒貶はいつの世も変わることなく、いわば人の習い性といえるものだ。ただ短期間での極端な人物評価の修正は人間社会の熟慮を経た行為とは程遠いものである。
人物評価には極論に陥いることなく、温厚な態度を保ち、かつ合理性を以てあたりたいと願う。
小松 隆
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