トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ なぜ美空ひばりの歌に感動するのか
外交評論家 加瀬英明 論集
演歌には、日本人の集団意識のなかにこもっている情念や、怨念が現れている。だからこそ、共通の体験に訴えるのである。演歌のもう一つの特徴は、みなよく似ていることだ。そしてニューミュージックとか、ポップスといった他の流行歌は月々変わってゆくのに、演歌だけはいつも同じようなものが繰り返し歌われている。
島倉さんと会ってから三日後の日曜日だった。ある宗教団体に招かれて、美空ひばりのショーを観に京都まで行った。どうしてか演歌づいた一週間だった。美空さんのステージは初めて観たが、〝日本一の歌の女王〟といわれるだけあって、さすがに堂々としていた。第一部は着物姿で、第二部はイブニングを着ていた。
緞帳があがると、舞台が深い、青い照明のなかに浮かび上がる。ギターの爪弾きが始まって、『悲しい酒』の前奏だとわかると、いっせいに拍手が起こる。ひばりが立っている。歌わずに、語りはじめる。「淋しさを忘れるために飲んでいるのに、酒は今夜も私を悲しくさせる・・・」それから歌に入る。「胸の悩み」、「酔えば悲しく」、「飲んで泣く」、「一人ぼっち」、「心の裏で泣く」、「泣いて怨んで・・・」東京に帰った後にコロンビア・レコードに電話してきくと、百二十万枚も売れたというだけあって、日本人だったら心を揺さぶられずにいられないところがある。
歌から歌の合い間に、ひばりは自分の言葉を使って、聴衆に語りかける。時々、劇場をいっぱいに埋めた聴衆のなかから、「ひばりちゃん!」という威勢のよい声が舞台へ向かって飛ぶ。私には教えられるところが多かった。ひばりが「これまで私の人生を振り返ってみると、楽しかったことは片手で数えるほどもありませんでした。悲しく、つらいことばかりでした。悲しかったことを数えたら、きっと手がいくらあっても足りないでしょう。でも、ひばりは負けません。ひばりは頑張ります」というと、聴衆はステージに立ったひばりに完全に感情移入してしまう。いっせいに手をたたく。
ひばりは、〝御殿〟に住んでいることで知られている。〝ひばり御殿〟だ。〝御殿〟に住むような者が、悲しく、つらいことばかりだったとは信じにくいが、観客の前で「楽しいことばかりで、つらいことはあまりありませんでした」といってはならないのだ。
日本は保守的な社会であり、庶民から身を興して、成功して〝御殿〟を構える者は僅かで、奇蹟的であるだけに、このような成功者を崇めるところがある。アメリカであれば自由競争の社会であるので、一代で大邸宅に住む者がいても、そのためにあこがれられたり、嫌われたりすることはなかろうが、日本では〝御殿〟は緊張が集まるところになっている。
一部と二部の間には、ひばりの弟の香山武彦が出てきて、二、三曲歌った。あまり上手でなかったのが、とくによかった。とにかくひばりの弟なのだ。日本では公私をいくらか取り違えることがあっても、家族想いであったり、家族のために身を犠牲にしているということは美徳なのである。
ひばりはショーが終わりに近づくにしたがって、テンポの速い曲を歌って舞台を盛り上げてゆく。喝采が続く。ひばりが「皆さんも頑張って下さい。ひばりも一生懸命に頑張ります」と呼びかけると、場内がもう割れんばかりの喝采で沸きたった。私も最後の盛り上がりには、感動した。
日本人にとってはつらいことや、苦しいことは当たり前のことなのだ。自己を否定し、耐えることが、自然の状態なのである。これは日本人が楽観よりも、悲観を好むということにも現れている。経営者の訓示から、週刊誌の記事や、ベストセラーのタイトルまで悲観的であるほうが好まれる。
個性の時代 ミーイズムのすすめ 二章 「演歌」にみる精神構造
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