トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ 楽観論よりも悲観論を好む
外交評論家 加瀬英明 論集
私はどうも暗いことは、あまり好きではない。なるべく明るく、肯定的に物事をみようとする。だから、私は楽観論のほうが好きだ。それに戦後、これまでの日本をみてみれば、悲観論よりは、楽観論のほうが一貫して当たってきた。とにかく短期間のうちに、これほど経済的に成功した国は他にはないのだ。そこでこれまで悲観的な見方は、ほとんど外れてきたといってもよいだろう。このような実例ならば多くあげることができるが、六年前の石油ショックはよい例だろう。あの時には原油価格がいっきょに四倍に釣りあげられたが、日本の大新聞や、経済専門家たちは、口を揃えて、高度経済成長が終わったというだけではなく、それまでの高度経済成長が誤っていたとすらいったのだった。こういった人々の眼からは、原油価格はさらに騰ってゆくはずだった。そして日本は大赤字国に転落するだろうと予測した。
私に臍曲りなところがあるからということではないが、当時、原油価格が人工的に四倍にも急騰したから、高値に釣られて供給が増え、数年以内に暴落することになろうと書いた。事実、過去の歴史をみると、原料価格が動乱をはじめとするような、さまざまな理由によって一時、高騰すると、ほどなくして供給が過剰になって暴落するという例が多いのである。
たしかに原油が高値になったために、供給過剰になって暴落しようという、私の見通しは当たらなかった。しかし高騰し続けるだろうという、当時の一般的な見方も当たらなかった。どちらの見方のほうが正しかったかといえば、あれからドル価値がインフレによって急速に下落したのにもかかわらず、今日まで原油価格のさほど大幅な値上げがなかったということは、私の予測のほうがまだ事実に近かったことを示している。
そのうえ日本が大赤字に転落するという予測こそ、大きく外れてしまった。日本経済は強靭な体質を持っていた。七〇年代のなかばを過ぎると、日本にとっての問題といえば日本経済が強すぎることであり、外貨を蓄積しすぎたために、諸外国と軋轢を起こしてしまったことだった。高度経済成長についても石油ショックのことはいけないことであるはずだったのに、今日では五、六%成長(世界的にいえば、先進工業国としてはきわめて高い数字である)が望ましいことであるように語られている。
今日の時点からあの当時を振り返ってみれば、石油ショックの騒ぎはまったくの空騒ぎだったのだ。それでも日本人には、あのような危機意識を楽しむ性向がある。私は講師として招かれることがあるが、話をする時には楽観論よりは悲観論のほうがどうしても好まれるようである。もっとも悲観的に物事を見たほうが、思い遣りがあるように映るものである。とにかく心配すると、いかにも真剣に、親身になって考えているようにみえるものだ。楽観論は話し手の表情をとっても、心配していないので、思い遣りに欠けているように映ってしまいがちである。
そうとはいっても、石油ショックのような危機感は、冷静にみたとすれば的外れなものであるとしても、日本人にとっては次の跳躍への活力を強める効果を持っている。京都の舞台でひばりが、「悲しくて、つらいことばかりでした・・・皆さんも頑張って下さい。ひばりも一生懸命頑張ります」と呼びかけ、観客が共鳴するのと、同じ心理が働いているのだろう。
個性の時代 ミーイズムのすすめ 二章 「演歌」にみる精神構造
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