トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ 一人になることは自分を見直すこと
外交評論家 加瀬英明 論集
私の楽しみの一つは、日曜日に犬を連れて長い時間散歩することである。皇居の近くに住んでいるので、堀沿いに日比谷公園のわきを通って、銀座通りに出て、日本橋までゆく。そして二時間から三時間も歩きまわったうえで、家に帰る。
休みの日には、人々の表情がはなやいでいる。それにオフィス街ではビルがしまっているので、人間が街の主人公になったようにみえる。ふつうの日のほうが通行人が多いはずなのに、そのように感じるのは不思議なものだ。おそらく人間には、人間らしいリズムというものがあるにちがいない。休みの日のリズムのほうが人間にかなっているのだろう。
仕事をしているあいだ、人間は外の力によって操られているので、どこか動作が機械的になってしまうのだろう。とにかくあてもなく歩いていると、時々、いろいろな意外な発見をする。都心だというのに、季節ごとにさまざまな花が咲いている。ついこのあいだは日本橋の常盤橋と新常盤橋の二つの橋の間に、今は全く使われることがない、古い「常盤橋」がまだかかっていることを見つけた。ひっそりとした橋の上には、浮浪者が数人ダンボールの箱をばらした上に寝ころがっていた。欄干の古めかしい彫刻がおもしろかった。
この前の日曜日には、神田まで行った。祭礼の提灯が軒先に下がっていて、しばらく行ったら、若い衆が神輿をかついでいた。犬はよい相棒である。一人でさほど歩けるものではない。退屈してしまう。犬がいなければ、不審に見えるかもしれない。犬も楽しんでいるのがわかるし、私も楽しむ。もちろん両者にとって、よい運動になる。
しばしば一人になるのは、必要なことである。誰からもわずらわされることなく、自分が自分を完全に支配しているような時間を持つべきなのだ。人間はどういうわけかその場その場の気分が、一生続くと思うものである。天気がよければ、さらによい。何にも縛られることなく歩いていると、愉快になる。
安あがりに愉快になる方法である。それに忙しい生活を送っていると、一週間に何回か、一人きりになることは、意外に重要なのだ。人間はいつもさまざまな人々に取り囲まれて、生活している。そして天性として相手に合わせようとするし、何かと影響を受けてしまうものである。そこでたった二、三時間でも、自分自身の主人になる時間を持つと、自分について見直すことができる。よい意味で自分を中心とすることに馴らされてくるのだ。
私が台湾から連れて帰ったチャウチャウという犬をつれているので、二時間も歩いていると、三、四人から話しかけられる。毛足が長くて、縫いぐるみのような、ユーモラスな愛嬌がある犬なので、信号で待っている時などに、種類についてとか、可愛いですねといったように声をかけてくれる。老人だったり、中年だったり、若い男女だったりする。見知らぬ人と親しく口がきけるというのも、楽しいものである。
個性の時代 ミーイズムのすすめ 三章 「喧騒」からの脱却
バックナンバー
新着ニュース
- エルメスの跡地はグッチ(2024年11月20日)
- 第31回さいたま太鼓エキスパート2024(2024年11月03日)
- 秋刀魚苦いかしょっぱいか(2024年11月08日)
- 突然の閉店に驚きの声 スイートバジル(2024年11月19日)
- すぐに遂落した玉木さんの質(2024年11月14日)
特別企画PR