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外交評論家 加瀬英明 論集
昨年秋に、私はナイアガラに行った。
ナイアガラ瀑布を見るのは、二十年ぶりのことだった。しかし、あの時にはアメリカ側からしか見なかった。一九五〇年代の後半に、日本人留学生仲間四、五人でニューヨークから車を交代で運転して飛ばしていったが、カナダの国境に着いた時に、なかの誰かが旅券を持ってくるのを忘れたので、結局、彼を残してカナダ側に渡るのに気がひけて、アメリカ側から眺めたのだった。
ナイアガラ瀑布は、アメリカとカナダの国境になるが、カナダ側の岸から見たほうがはるかによい。二つの瀑布はカナダの岸のほうへ向いており、アメリカのほうからは斜め横から見ることになる。さてナイアガラ瀑布に近くなると、もう数キロメートル先から、滝壺から空中に高くあがる水柱が望める。そして滝のすぐわきの展望台を歩くと、風向きの加減で一面驟雨のように水滴が降っていた。そのかわり二つの滝の上には、見事な虹がかかっていた。
私は国連総会に出席する園田外相とともに旅行していたが、週末、ナイアガラ見物を兼ねてニューヨーク州の北にあるバッファローからカナダに入った。そしてナイアガラ川上流の河畔に沿ったドライブウェイを二時間ほど走った。川と道路の間には、よく手入れされた緑の芝生のベルトが続き、ナイアガラに着くまで一つの野外広告版も、売店もなかった。条例によって禁じられているというのだ。樹木は黄、紅に色づきはじめていた。
瀑布の周辺に着いても、日本の観光地ならつきものの広告版も、ノボリもみられなかった。ラウドスピーカーが喧しく音楽や、声を流していることもない。日曜日の観光客によって賑ってはいたが、世界的な名所だというのに、静かなものである。外相が来たというので公園局の幹部が案内についたが、説明によれば滝壺付近の駐車場が目障りなので、やや遠くのほうへ移すことが計画されているといった。
私たちは瀑布を一望のもとに見降ろすことができる、展望タワーにエレベーターで昇った。上は回転レストランになっており、ここで軽食が用意されていた。上からの眺めは、息を呑むようなものだった。そして私はもう一度、日本の観光地とは何と違うことか痛感させられた。広告や、ノボリが一つあるわけでなく、スピーカーもない。唯一つの広告らしいものといったら、皮肉なことにもう一つある展望タワーの上に鉢巻上になった「パナソニック」(日本の松下電器)の大きな文字だった。
日本で観光地というとけたたましいのは、今まで日本人がふだんの日は根をつめて働き、ごくたまに数日の休みをとると、爆発的に発散しなければならなかったからだろう。しかし週休二日制がひろまるとともに、一年に一週間以上続けて休みがとれるようになってくると、観光地のありかたも次第に変わってくるにちがいない。眼下にひろがる景観を見ながら、ふとそう思ったのだった。
個性の時代 ミーイズムのすすめ 三章 「喧騒」からの脱却
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