社会
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NHKの連続テレビ小説『おちょやん』は戦前から戦後期に喜劇を中心に大活躍した女優、浪花千栄子(1907~1973)の人生を描いている。大阪・南河内の貧しい家庭に生まれ、5歳で母と死別、小学校にもろくに行かせてもらえず、父の再婚相手には疎まれ、9歳で道頓堀の仕出し弁当屋へ奉公に出される。
こうした筋立てで令和の時代に受け入れられるのかと思ったが、テンポのよいストーリー展開と出演者たちのテンション高めの演技が十分カバーしている。時代もコロナ禍が深刻化し、貧しさと苦難とかが肌身に感じられるようになってきた。
浪花千栄子の奉公先の周りは芝居町で劇場が集中していた。そこに弁当を届けたり、カラ箱を取りに行くと、駄賃にお菓子をもらうことがあった。それを入れた袋は古雑誌で作られ、文字が印刷されていた。文字に振り仮名が付いていて、それで漢字を覚えた。雇い主は因業な人で、見られたら折檻されるので便所に入って勉強した。ここの仕事で劇場に出入りした際に芝居を見られるのが一番の楽しみで、それが後の女優業の道につながった。
これと似たエピソードを以前に読んだ記憶がある。大正から昭和にかけて時代小説の第一人者だった長谷川伸(1884~1963)である。母とは3歳で生き別れ、父は事業に失敗して破産し、小学校を2年で退学し、自活のために様々な仕事を転々とした。その間にも向学心を失わず、落ちている古新聞を拾って、振り仮名を頼りに文章を読んだ。芝居が好きで、観劇の感想文を投稿した縁で業界紙の給仕になった。これを端緒に1911年、都新聞(今の東京新聞)の記者になり、執筆活動を開始した。
彼の作品でよく知られているのは『瞼の母』、『一本刀土俵入』等の股旅ものの戯曲で、ここには少年時代に体験した苦労や人の情けが盛り込まれている。ホロリとさせる名台詞も多い。
『瞼の母』では股旅渡世人になった主人公が生き別れの母のことを「瞼のうえ下ぴったり合わせ、思い出しゃあ、絵で描くように見えた」と語るが、長谷川の妻の実話がもとになっている。本人も生き別れの母を忘れることはなかった。浪花千栄子は、話術の名人と言われた徳川夢声との対談で、母のことを「顔は知りまへんけど、幽霊でよう見ました」と話している(筑摩書房刊『生きる技術』に収録)。
貧困で最も犠牲になるのは子どもだ。そこから這い上がった先人たちの話に学ぶことは多いが、「自助」なんて言葉だけは使いたくない。
山田 洋
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