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外交評論家 加瀬英明 論集
一つの例として、キューバ危機に臨んだ、ホワイト・ハウスの会議をとってみよう。一九六二年十月十六日に、キューバ危機が発生した。この日、U2型機がキューバにソ連製のミサイルと核兵器が持ち込まれていることを示す写真を撮影して、戻ってきた。アメリカはソ連に、その撤去を要求した。そして危機が発生してから十三日目に、フルシチョフはミサイルを撤去することに同意した。
キューバ危機は、人類が全面核戦争の瀬戸際まで追いつめられた、最初の、そしてこれまでのところでは最大の危機であった。ホワイト・ハウスでは連日、ケネディ大統領が中心として、緊迫した会議が続いた。
この十三日間について、当時、ジョンの下で司法長官を務めていたロバート・ケネディが回想録の『13日間、キューバ・ミサイル危機回顧録』(邦訳、毎日新聞社、昭和四十三年)のなかで、生き生きと描いている。
二十日には、全世界に展開していたアメリカ軍が非常警戒態勢に置かれた。マクナマラ国務長官は、大統領がキューバ空襲を決定した場合に備えて、空軍の一部に出撃準備命令を下した。
「十月二十日午後一時四十分、大統領はホワイト・ハウスに帰り、ひと泳ぎした。私はプールサイドに座り、大統領と話し合った。午後二時半、われわれは歩いてオーバル・ルームへ行った。会議は五時十分すぎまで続いた。国家安全保障会議の正式会議として招集されたので、集まった人数は多く、それまでの討議に参加していない人たちもいた。ボブ・マクナマラが封鎖論を述べ、他の人々が武力攻撃論を述べた」(毎日新聞社外信部訳)
オーバル・ルームは、大統領の執務室のことである。そして統合参謀本部の幹部が、ソ連はどっちみち核をつかって攻撃してこようから、アメリカが先に核を使うべきだと主張した。ロバートは「これを聞きながら私は、すでに何回となく軍部からそういう議論を聞かされたことを思い起こしていた。軍部の議論は、もし間違っていた場合、(核戦争の結果)だれもいなくなってしまって、結局のところ間違いだったことに気づかれずにすむという利点をもっているのである」(同訳)と考えるのである。
十月二十三日には、キューバへミサイルを積んで向かっているソ連船を阻止するために、翌朝キューバ封鎖を宣言することが決定された。
「次いでわれわれは、封鎖海域で商船の臨検を実施するさいの、海軍の規制について詳細に論じ合った。船が停泊に応じない場合でも、重大な軍事的対決を避けるため、海軍はその船のカジとスクリューを打つべきであるとされた。船を航行不能に陥らせるが、人命の損失や沈没はなんとか避けたいというのである。大統領はまたロシア人が抵抗の決意を固めたとき、これらの船に強制的に乗込むことについても懸念をあらわした。ひどい、激しい戦闘と、多くの犠牲者が予想されうると彼は言った。マクナマラ長官は、そうした船には強行乗船しなくとも、適当な短期間のうちにジャクソンビル港なりチャールストン港なりへ引航すればよいのではないかと考えた。
『もしわれわれがこうした努力のすべてを尽くしたあげく、船の積荷が乳児用食品だったとしたら、一体どうなるのかね』と大統領は言った」(同訳)
こういった場面には、逞しささえ感じられる。起こっていることや、自分を客観的にみる余裕があって、はじめてこういったことを思いつくことができる。捲き込まれてしまった者には、おかしさを感じるだけの距離を置くことが出来ない。
個性の時代 ミーイズムのすすめ 五章 「ユーモア」の発想
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