トップページ ≫ コラム ≫ 埼玉の余話 ≫ 小林哲也さんと親子鷹
コラム …埼玉の余話
小林哲也さんが熊谷市長選の出馬を決断した。哲也さんは県議会の議長までも経験した有能なる現職の人だ。本来、小林哲也先生と呼びたいところだが、私とってはあくまでも哲也さんなのだ。哲也さんの父君は私が尊敬してやまない地方政治家の雄であり、鏡であり、星だった。国を憂い、県を想い、ふるさと熊谷を愛し、その熱情と実力は他の追従を許さなかった。小林先生とはよく飲み、政治、人生を語り合った。政治を変えていこう。二人の志は固かった。そのためには県会の大物たちとは大喧嘩も惜しまなかった。その弁舌は鋭く、しかも大きな愛と熱に包まれ、見事だった。教養もあふれていた。文学も語りあって、時間も忘れた。私よりも一回り以上の年上だったが、二人の絆は固く、私はこの人がいる以上、政治に生命を賭けていこうと思っていた。酔うと必ず、子息の哲也さんの話をした。先生と哲也さんはまさに親子鷹だったのだ。先生が県会を辞して、市長になってしまった時は、喜びと寂しさが私の中で抱き合った。そんな先生が亡くなっていしまった時は、ショックでその後の人生まで変わってしまった。知事候補の第一人者でもあった先生の逝去は、私のみでなく、県政界を無念の念に沈めた。そんな先生の優れた息子さんが、ここで新たな決意をしたのだ。私の中で眠っていた志と熱を哲也さんに捧げたい。それが父君、故小林一夫先生の恩返しになるのだったら至福だ。
鹿島修太
バックナンバー
新着ニュース
- エルメスの跡地はグッチ(2024年11月20日)
- 第31回さいたま太鼓エキスパート2024(2024年11月03日)
- 突然の閉店に驚きの声 スイートバジル(2024年11月19日)
- すぐに遂落した玉木さんの質(2024年11月14日)
特別企画PR