トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ 息が詰まる日本のマンション
外交評論家 加瀬英明 論集
最近、マンションを買いたいと思って、暇のある時にいくつかモデル・ルームや、中古で売りにでているものを見ることがあった。皇居の近くで、三番町から平河町の間ぐらいで広さが三十坪前後ということになる。五、六千万ということがわかった。
このあたりに探そうというのは、平河町に仕事場を借りていて、近くに住んでいるので、住むところぐらいは買ったほうがよいだろうと思ったからである。五、六千万円というと、かなりの買い物になるだろう。ところが、いくつかのマンションを見ているあいだに、すっかり気が滅入ってしまった。
とにかくスペースが小さいことは、東京や、大阪のような大都市は過密であるから仕方がないことだろう。しかし、二つ目か三つ目のマンションを見た時に、何か人間が住むところではないのではないか、という気がしてきた。たしかにどれも一見、小ぎれいにつくってある。ところがまずマンションにつけられている名前からして、「アンバサダー六本木」とか、「五反田ダイヤモンド」「パルムハウス調布」といったように怪しげである。(これはある日の新聞の広告から取ったものだ)
マンションという言葉からして、そうだ。もう日常語としてすっかり定着してしまっているが、「マンション」をアパートメントを指す普通名詞として使うのは、日本製英語である。コンサイスでmansionをひくと「大邸宅、やかた」とでてくる。そのつぎに、【英】アパート、・・・荘【名に用いる】と書かれている。
イギリスでも、アメリカでも「マンションに住んでいる」といえば、田舎にある大邸宅に住んでいるという意味である。アパートのことではけっしてない。たしかにロンドンでは「モーベス・マンションズ」とか「アーティレリー・マンションズ」といったら高級アパートとしてかなり知られているが、ふつう「マンションズ」がつけば日本でなら「ひばり荘」とか「あおぞら荘」の「荘」に当たるようなものだ。「マンションズ」がついているから、高級アパートであるということにはならない。ロンドンには今でも、十九世紀に富豪が貧窮民のために建てた、「ピーボディ・マンションズ」というアパートがある。
案内されてみたマンションは、三部屋か、四部屋はあることはあっても、何といっても一部屋が狭い。三十数坪で、五部屋もあるところがあった。居間がかなり大きいところもあったが、ほとんどのところは応接セットのソファを向け合って置くだけのゆとりがないので、壁に向かってL字型においてごまかしている。玄関のドアがまるで銀座の高級クラブのように立派で、玄関に大理石のようなものが貼ってあるところもあったが、こういうところにかぎって中に入ると造りが意外に貧弱である。またマンションの中央に納戸と呼ばれる、窓のない部屋があるところ(モデル・ルームの係員によれば、建築法の関係で窓の大きさと部屋の面積が比例しなければならないので、意外なところに「納戸」を造らねばならなかった)など、ほんとうに人間が住むために造られたとは思えなかった。
それでも日本のアパートが狭いのには、慣れている。今、借りているアパートはもっと小さい。建坪が二、三十坪の家だったら、いくらでもあるだろう。しかしマンションとなると、名前や、玄関口だけは見た目がよくなっているが、なかに入ると、息が詰まりそうになる。家とは似つかぬものなのだ。私が見たのは、典型的なマンションだったろう。三十坪前後で、小さな四、五部屋に分かれている。マンションを探そうということが頭の裏にあると、ふだんはあまり見ない不動産の新聞広告が目に入るものだ。都心から遠くなるにつれて、売値が下がっても、このくらいの大きさが標準のようである。
私は売り物のマンションを見てすぐに感じたのは、これでは主婦が掃除をするところはどこもないな、ということだった。主婦が磨きたてるような欄間とか、廊下がない。これでは窓を拭くといっても、拭く気にならないだろう。もっとも、今の主婦は電気掃除機を持っている。掃除という仕事も、電気掃除機を押して歩くだけのこととなった。
たしかに今、売り出されているようなマンションは、便利にできているのかもしれない。二十坪から三十坪そこそこの床下面積を薄い壁で仕切って、ふつう四部屋に分かれているが、夫婦と子供二人の標準家族を対象として造られているようである。しかし、このような建て方を見ると、そこに住む人々の生活の要請から造られているのではなく、業者の都合で建てられたようにみえる。
このようなマンションには、客の主張が欠けている。「ダイアモンド」とか「アンバサダー」とか名づけられた、マンションと呼ばれる狭い住まいで、いったいどのような生活をするのだろうか?マンションには洒落たような名前がつけられているといっても、造りをみると、どうも長屋が母体となっているようだし、終戦後の宿無しの収容所の延長のようですらもある。
どこかが間違っている。一つには、マンションを建てる方も、住む方も、ビルのなかのアパートに住んだ経験がない第一世代なのだからだろう。だから真ん中に納戸があるようなことになる。そして狭いところに小さな箱のような部屋がたくさん並んでいて、これがかえって便利であるとか、機能的であるように見えるのだろうが、これでは一家がただ食べて、排泄して、寝るだけの場所になってしまうのではなかろうか。
個性の時代 ミーイズムのすすめ 7章「家庭」のなかの個人
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