トップページ ≫ 社会 ≫ 高校生による大ヒット曲誕生に居合わせて
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BS放送の懐メロ番組で人懐こい表情の女性歌手の顔を見て、半世紀近く前の音楽コンテストの記憶が甦った。当時、ヤマハ音楽振興会が主催して三重県志摩の合歓の郷(ねむのさと)で毎年2回開かれたポピュラーソングコンテスト(略称ポプコン)はポップス系ミュージシャンの登龍門だった。1973年秋、私が所属していた週刊誌編集部にこのコンテストの招待状が届いたが、音楽・レジャー担当者の都合がつかず、私が代わりに行くことになった。
広大なリゾート地の合歓の郷はレジャー施設も整っていて、そちらが面白くてコンテスト会場の屋外ホールには途中で入った。間もなく黒いワンピースの、ふっくらしてあどけなさが残る女の子が登場した。「もしも私が家を建てたなら……」と英語の仮定法過去のような出だしはゆっくりして親しみやすく、次第に盛り上げてラストに至る歌声は、一度聞いたら忘れられないメロディーとともに会場の人々を魅了した。出場者全員の曲を聞いたわけではなかったが、素人の私にもこの曲の入賞を確信できた。
テレビに出ていたのは、16歳で大阪音楽大付属高校の生徒だった時に、この『あなた』を作詞・作曲して歌った小坂明子さん。当初はフォークグループのガロに歌ってもらうつもりで、曲調もガロ風だったという。彼らとの調整がつかず、本人が歌うことになったが、グランプリを獲得し、さらに世界歌謡際でもグランプリに輝いた。レコード化されたら大ヒット、200万枚を記録し、翌年のNHK「紅白歌合戦」に出場した。
この歌とともに丸々とした体型が印象的だったが、何と1982年には『あきらめないで――小坂明子のやせる本』を刊行し、こちらもベストセラーになった。1985年からはアニメ主題歌やミュージカルの作曲に取り組み、さらにはCMやテレビゲームにと仕事の幅を広げた。
そして今、曲を「作る」「歌う」だけでなく、人を「育てる」ことに取り組んでいる。そのためのヴォーカルレッスンでは「プロ養成コース」もあり、これまでに培ってきたノウハウを人に伝えている。やはり小坂さんの原点は1986年で終了したヤマハポプコンにあるようだ。
山田洋
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