トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ 少量の暴力はときには必要
外交評論家 加瀬英明 論集
おとなは、幼児がただ歳をとっただけだとしばしばいわれる。二十歳児とか、三十歳、四十歳の幼児もいるわけだ。こういういいかたが正しければ、七十歳になった幼児がいてもよいことになる。
あるいは幼児といわずに青年といい換えてもよいかもしれない。幼児や青年が老いるだけであるという裏には、それだけ青年期が終わるまでの人格形成が大切だということがある。
戦争は平和主義と、暴力の否定が強調されるあまり、学校における体罰や、子供のあいだの喧嘩もいけないこととなってしまった。しかしその一方では、今日の子供たちが体力的にも、精神的にもひ弱であることがしばしば報道されている。
そういえばもう一昨年のことになるが、〝指ピストル事件〟というのが新聞を賑わしたことがあった。犯人は三十八歳だったが、二十一件の犯行を重ね、捕まるまで同じ手口で百六十七万円を奪っている。最初の犯行の時の被害者グループは十二人であった。被害者は全員、若い男性だった。もちろんそうしなかったほうがよかったかどうかは、本人でなければいえまいが、どのグループをとっても、まったく抵抗していない。
私は四十代になるからもう分別がついてよい年齢である。だからひとりでいるか、二、三人でいたのだったらきっと抵抗しなかっただろう。しかし五、六人でいたら、犯行は夜七、八時ごろ歓楽街で酒がはいっている時間に行われているから、その場になってみなければわからないかもしれないが、おそらく相手を袋叩きにしているだろう。こちらが多少怪我をするおそれがあっても、何といっても相手は一人である。
その二カ月ほど前に新聞を賑わした事件であるが、成田空港が開港することになった直前に過激派の青年グループによって管制塔が襲われ、塔内の設備が破壊されると言うことがあった。テレビのニュースでみたが、犯人たちは足場の悪いところからよじのぼって、ガラスを割ったあいだから一人ずつ管制室に入っている。開いた扉から乱入したわけではない。この時に管制室のなかには六人の男性職員がいた。若い壮健な男性である。ところが抵抗を試みることもなく、すぐに屋上に逃げ出してしまった。その結果、職員が預かっている一億円に相当する、国民の財産が破壊されてしまった。
これは案外、戦後、日本が国是としてきた平和主義と関係があるのかもしれない。その前の年の日航機ハイジャック事件から、成田事件が起こった月の尖閣諸島事件まで、平和大国である日本は無抵抗であった。指ピストル事件や、管制塔襲撃事件といったものをみると、平和主義とどこかで関係がありそうである。といっても私はけっして暴力をすすめているつもりはない。私自身、暴力は好まない。しかし暴力はときには塩や、胡椒のように少量というか、ちょっとだけ必要なものである。あるいは暴力的な、といい直したほうがよいかもしれない。とくに幼児や、青少年に対しては暴力的な戒めは欠かすことができないはずだ。
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