トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ 日本人の心のふるさとは「母」
外交評論家 加瀬英明 論集
また、歌の話になってしまうが、私は小柳ルミ子のカセットテープを持っている。とくに小柳ルミ子の歌が好きだということではないが、このテープは『ふるさと母さん』という題で、演奏会を録音したものだ。
まず、お母さんについて語りがある。それからお母さんについてのいくつかの歌を、メドレーで歌う。「どうしたの 心配しないで 私はこんなに大きくなったのに ふるさと母さん ふるさと母さん」。そういって歌っているうちに三曲目で、歌いながら啜り泣いているのが、はっきりとテープに入って、ところどころで歌が途切れてしまう。それでも一所懸命に歌っている。
日本人は誰でも母親とふるさとを聖化する。ところが西洋人であれば、母親とか、ふるさとといっても、涙を催すようなことはあるまい。しかし日本では「母」とか、「ふるさと」という言葉は、心の琴線にふれるのだ。だから、小柳ルミ子のテープをきいていると、感動しないわけにはゆかないのだ。
そういえば、王選手が七五六号のホームランを打つ前には、新聞は、もう何日も前から、いつ王選手が七五六号を打つのかということを、全国民が期待していたように書きたてていたが、いよいよ打った日には、紙面をみると〝南京陥落〟のような騒ぎだった。私のように野球にあまり関心がない者は毎度のことだが、新聞をひろげると仲間外れにされたような気がして、落胆してしまった。
いくらか前の〝怪獣騒ぎ〟も、そうだった。あらゆる新聞が書きたてる。一つの新聞だけがニュージーランド沖に怪獣探しの調査団を出して、サメの骨を発見したのだったら、一紙だけしか書かなかったらよかったが、偶然、漁船が拾いあげたので、たいへんな騒ぎになってしまった。
それにしても、王選手が七五六号を放った時に、テレビはすぐに王氏の両親の王仕福、登美さん夫妻をうつしだした。私はこのシーンをのちのニュースでみたが、父親は中国人らしく相好を崩して、さかんに自分の両手を握って、かざして握る打恭のようなことをしていた。そして翌日の新聞も、両親が喜んでいる写真で埋まっていた。
私はちょっと憂鬱になった。もっとも子供のことで老いた両親が喜ぶのをみるのは、よいことである。しかし、どの新聞も両親の写真と記事を載せていたが、どこにも夫人の写真はなかった。夫人は球場にいなかった(目黒の自宅で三人の子供のために、寄せナベとサラダを並べていたそうである)といっても、両親のほうが夫人よりもはるかに扱いが大きかったのは、あらためて考えさせられた。といっても日本人にとって、妻よりも両親のほうを大きく扱うのは当然のことであって、そうするほうがふつうである。
個性の時代 ミーイズムのすすめ 8章「母親」としての女性
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