トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ 子供はつねに親の一部
外交評論家 加瀬英明 論集
妻は〝糟糠の妻〟であって、樽か、今日でもポリエステル製のバケツのそばに控えているものであって、晴れがましい席に出てきても、なるべく参会者の視線の死角になっているようなところに身をひそめているべきものである。そういえば、田中角栄が首相になった時も新潟の母親は登場したが、喜んでいる夫人の談話や、写真が出るようなことはなかった。福田首相や、太平首相の場合も、夫人が大きく扱われなかった。
そう思ってみると、大学卒業生の入社試験に母親がつきそってゆくというのも、驚くようなことではないのだろう。西洋の場合では、両親と夫人の地位が逆転する。大統領選挙はもちろん、月から宇宙飛行士が還ってきたというような時には、「スタンドで、わが子の大記録を喜ぶ両親の仕福さんと登美さん」といった日本の両親にかわって、夫人が派手に扱われることになる。どうも日本では、子供は親に所属してしまっているのだ。親の一部なのである。
こんなところにも、日本の家族主義が顔を出している。子供を親と別な人としてみることができない。そこで、この前の参院選挙でも、社会市民連合といった一見もっとも進歩的であるか、革新的であるようにみえるものでも、選挙の直前に江田三郎氏が急死して、それまで裁判所で判事をしていた息子が、〝身替り〟になって立候補すると、全国区で第二位の百四十万票という大量な票を獲得した。
これは日本では、やはり個人に対する意識が希薄であって、集団のほうが個人よりも優っていることを示している。江田五月は、江田三郎の一部であったのだ。よく旧家の醤油屋や、漬物屋で、何代目右左衛門と襲名してゆくことがあるが、これと同じことなのだろう。
もっとも二代目で、議員バッジをつけているということでは、江田五月氏はけっして珍しい存在ではない。日本の国会において二代目が占めている比率は、他の先進諸国と較べれば異常に高いのだ。新自由クラブも結成した時には、二代目ばかりの党であった。そして河野洋平氏をとっても、父の分身といったイメージを背負っている。
私は一度、河野氏と会って話をしたことがあるが、父について語る時は感動的でさえあった。といっても、洋平氏には気の毒だが、『週刊文春』が河野一郎を「捕まらなかった角栄」と呼んだことがあるように、稀代の腐敗した政治家だったことは確かである。洋平氏は一郎が死んでしまっているから後光がさしているようなことをいっているが、ほんとうは父亡きあと、その財産や地盤を継ぐというのは恥しいことであった。
個性の時代 ミーイズムのすすめ 8章「母親」としての女性
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