トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ 年々ひどくなるイメージ選挙
外交評論家 加瀬英明 論集
ようやく都知事選と、区議会議員選挙が終わったので、街が静かになった。
私は選挙のたびに、友人が立候補したり、支持する候補者から頼まれると、応援にでかけるようになった。一人の市民である以上、政治に対して野次馬でいるわけにはいかない。それに評論を書くとしても、不偏不党といった傍観者でいるつもりはない。政治はみんなのものであるとともに、私のものなのだ。このような人物を国会に送りたいと思う時には、仕事を何日か休んでも、応援に駆けつけることにしている。
この前の参院選挙では、九州、千葉県、都内で宣伝カーに乗った。通行人に対して、手を振った。駅前や、商店街に停めた宣伝カーの屋根から、下手な演説をした。たしかに誰も積極的に聞こうとしない聴衆—といえるのだろうか―に向かって、話をするというのは、たいへんなことである。聞こうという相手がいないのに、話をするというような体験は、日常生活ではめったにあることではない。空しいものだ。どうせ、バス停や、駅のプラットホームや、パチンコ屋、八百屋の前に立っている人や、買い物をしている途中か、勤め帰りの人々は、断片的にしか私の話を聞いていない。そこで、できるだけ候補者の名前を繰り返して呼ぶことになる。
それにしても、選挙はどうしてこうお祭り騒ぎのようなのだろう。イメージ選挙は、年々ひどくなってくるようである。応援にでかける時には、飛行機や、鉄道ででかけるが、目的地の空港や、駅に着いた時は、見知らぬ出迎えがある。私の名前を書いた紙を持って立っている。しかし、私にはすぐに出迎えの人がわかる。選挙の運動員はたいてい原色の緑や、空色の上着に、白いズボンをはいているとか、きまって派手なTシャツを着ている。私はけっして候補者を当選させようと一所懸命になっている人々に対して悪意を持っていっているつもりはないが、まるで安キャバレー司会者か、テレビのポピュラー・ミュージック番組で歌手のうしろで踊っている若者たちのようにみえる。それでも空港が混雑していても、すぐにわかるのは便利だ。異様な風体だから目立つ。
個性の時代 ミーイズムのすすめ 9章「民主主義」に潜むもの
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