トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ 「民主主義」と「連呼」は同義?
外交評論家 加瀬英明 論集
私は正味三日間、候補者の宣伝カーに同乗するか、街頭演説予定個所から次の予定個所まで、後につづく車に乗った。
車が動いているあいだは、ひっきりなしに連呼する。もう日本では、「民主主義」と「連呼」は同じ言葉になってしまっているのだろう。誰も聞いていないような田舎道でも、「お昼下がりのひととき、ご近所をお騒がせします。全国区から立候補いたしました、信念の人・・・」というように拡声器をいっぱいにあげて、候補者の名前を呼ぶ。そして宣伝カーのなかからは、候補者も、学生アルバイトも、通行人の姿がみえれば、窓から手を振る。
たまには手を振り返してくれる。といっても面白半分に手を振り返している人が多いのだろうが、田舎へ行くと、お婆さんのなかには、こちらから手を振ったというだけで、律儀にお辞儀をしてかえしてくれる人も少なくない。
しかし、見知らぬ通行人に手を振るというのは、正気を逸したことだ。俳優や、歌手も動員される。
会釈する人もいる。すると宣伝カーから女性の声で、すかさずに、「会釈でご激励ありがとうございました。がんばれ××、負けるな××。みなさまの暖かいご声援とご支持だけをたよりに、××××一所懸命戦っております」と呼びかける。
近くで他の自動車のクラクションが鳴る。どうして鳴らしたかはかまわず、(宣伝カーのスピードが遅いから、焦立って鳴らしていることもある)連呼のあいだに「クラクションを鳴らしてのご声援、ありがとうございました」と挿入する。「××××、あともう一歩でございます。××××最後のお願いにあがりました。みなさまの絶大なるご支援をたまわりますよう・・・」
どのような候補者でも、左右にかかわらず連呼の時にいう言葉は同じである。実際、絶え間なく連呼する宣伝カーに三、四時間も続けて乗ったら、日本の民主主義がいかに未熟なものか、痛感させられる。住宅地や、商店街でアンプのボリュームをいっぱいあげて走る。子供たちは物珍しさから手を振ってくれるか、狭い道路なのにあまりにも音量が大きいので、無邪気に耳をふさぐかする。車のなかから見ていると、成年者でも不快がって、耳を抑える者がいる。ほんとうに手を振ってくれるのは、支持者だ。しかし、どの候補者にとっても、タレント候補でないかぎり、こういった人々は僅かなものである。
運動員は、学生アルバイトとして雇われて働いている者が、ほとんどである。九州では、クラブ活動でアナウンサー部に属しているという女子学生が、「このあいだね。ひとと会って、自分の名前をいうつもりで、候補者の名前をいっちゃった」といって、明るく笑った。
個性の時代 ミーイズムのすすめ 9章「民主主義」に潜むもの
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