トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ 変わらぬ無関心と安易な公約
外交評論家 加瀬英明 論集
三十三年前といえば、一つの国民の長い歴史のなかでは、つい昨日のことである。日本で戦後最初の総選挙が行われたのは、終戦の翌年四月のことであった。もし昭和二十一年がついこのあいだのことなのだといえるとすれば、私たちはこの年の四月の新聞を機能の新聞のように手に取って読むことができるはずである。
このころの朝日新聞をめくってゆくと、この年四月の総選挙について三月ごろから記事が載りはじめるようになる。このころの記事や社説を追ってみよう。三月五日の一面(といっても、当時の新聞は表裏二ページだ)には、婦人層が総選挙にほとんど関心がないことを報じている。
「地方における夫人の総選挙に対する関心はどうかといふことについて、二、三の地方を回って来た印象は、結論においては矢張り定説どほり、無関心に近いほど冷淡であるといふことを肯定せざるを得ないやうである」
翌日の社説は、「民主主義革命と数字」という題で、
「徳川封建制のもとにあった人民は、ただ治められるだけの立場にあって、みづから治める権能を持たなかった。このような状態のなかからは、人民がみづから統計を知り、この統計に立脚してみづからの政策をたてるということはあり得ないから、凡そ『数字』には縁遠い生活で、領主の下済みとなってゐる外はなかった・・・敗戦と共に、言論、集会、結社の自由が与へられ、わが国としては、未だ曾て経験したことのない人民大衆の政治的自覚のもとに、民主主義革命が進行しはじめた」
と述べている。このころの社説や、記事は民主主義の手習いといった感じが強い。
そして投票日が近づくにつれて、棄権防止を呼びかけるものが増えてくる。
「また棄権防止運動のやうなものも、新たな構想を以って行はれてよいのではなからうか。元来棄権は、崇高なる国民の権利の放棄であり、義務の懈怠なのであるが、今度の我国の総選挙のやうな場合は、特に棄権の罪悪感を強調して防止に努めるのもまた、国民の義務でなければならぬ」
(社説「選挙運動開始さる」、三月十二日)
有権者の関心が低いことが、しばしば嘆かれている。また、候補者が安易な公約を並べることも、今日とあまり変わっていないようである。
「総選挙を控へた各地を歩いて耳にすることは、大抵の候補者が、主食三合配給を公約する事実である。中には絶対に嘘をいはぬと断言してかかる者さへあるが、惜しむべし、何ら具体的な方策が明らかにせられない」
(「天声人語」、三月二十八日)
この選挙には、二千七百八十二人が立候補するというように、たいへんな乱立であった。候補者をたてた政党は自由、進歩、社会、共産、協同の当時のいわゆる五大政党のほかに、二百五十三を数えた。とにかく日本の民主主義の最初の実験は、こうやって始まったのだった。
「投票日はあと一週間の後に迫った。にもかかはらず、一般国民の総選挙に対する関心は、依然低調であると伝へられる。お祭騒ぎをすることが国民の関心を示す尺度にはならない・・・」
(社説、「棄権に『意味』ありや」、四月三日)
この社説のなかでは、
「衆議院を選挙することは、国民としての権利であると同時に道徳的義務である・・・単に自分一人の気分や都合で、棄権することは出来ないはずであるばかりでなく、有権者は積極的に協力して、この権利を行使する道徳的義務があると信ずるものである・・・棄権の意味が単に義務の懈怠といふところに止まらず、少なくとも日本再建事業の速度を阻むものといひ得るのではなからうか・・・投票が国家的、したがって道徳的義務であることから、凡ゆる障碍を除去し、克服して四月十日には慎重なる一票を行使することが、日本民族の名において要請せられてゐるのである」
と投票が権利であるよりは、「義務」であることが何回も繰り返されている。
個性の時代 ミーイズムのすすめ 9章「民主主義」に潜むもの
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