トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ ラテン型かゲルマン型か
外交評論家 加瀬英明 論集
いくらか前のことになるが、私はある雑誌のためにロゲンドルフ神父と座談会でいっしょになったことがある。ロゲンドルフ神父はもう有名であるが、戦前、日本にやってきて、長いあいだ上智大学で教鞭をとってきた。
座談会が東西の宗教の比較をテーマとしていた。そして話はいつのまにか、プロテスタントとカトリックのちがいに移った。この時に私はふと、カトリックはイタリア、スペイン、フランスといったラテン系であり、プロテスタントはドイツとか、スカンジナビア、といったゲルマン系ということになるが、日本人のなかには賑やかで騒々しいラテン系と、重々しく落着いたゲルマン系が共存しているのではないか、といった。私はかなり以前から日本人にはラテン系と、ゲルマン系の二つのタイプがあるのではないか、と思ってきた。
このような着想をもったのも、ある時、イタリア人や、フランス人、ドイツ人、イギリス人や、アメリカ人が自動車を運転する時のちがいがあるのではないか、と感じたからだった。一口に自動車の運転の仕方といっても、いろいろある。国民性があらわれるのだ。それぞれの国民の生活態度が、そのまま反映されるといってよいだろう。
パリや、ローマでは、ドライバーは街中でも交通法規(もちろん、あるだろうが)を無視して、高速で文字通り疾走している。ひところ、さかんにいわれた東京の〝神風タクシー〟も、顔負けである。ところがイギリスやドイツへ行くと、街中の運転はゆっくりとして、落ち着いている。
私は運転の型には大きく分ければゲルマン型と、イタリア、フランスのラテン型という両極端があると思う。このコントラストは、おもしろい。ゲルマン型といえばドイツ型であるが、ドイツ人らしく几帳面に、あくまでも法規を順守して運転する。あまり機転をきかすことがない。そこで自分が法規にあっていて正しいと思えば、「イッヒ・ハーベ・レヒト(わたしは正しい)」といって、ブレーキを踏むこともなく、突っ込んでいく。そこでドイツでは誰でも想像できるように、出会いがしらの事故が多い。ドイツのどこかに「イッヒ・ハーベ・レヒト」と書かれた、大きな墓場があるという小咄が、ドイツにはあるくらいだ。
そこへいくと、フランス人や、イタリア人は法規などはかまわない。ラテン系で、多血質であるから、自分勝手に運転する。日本から行っても、フランスや、イタリア人の運転が乱暴なのには、驚かされる。もっとも、彼らはすばしこく、器用である。すれすれのところでハンドルを切る。そこで接触事故も少なくないが、車の窓から顔をだしたり、車をわきに寄せて、口から泡を飛ばして喧嘩をしているのをよく見かける。喧嘩すら楽しんでいるようにみえる。彼らはとにかく、落ち着きがない。喧騒なのだ。
イギリスや、アメリカは法順守型ということで、ドイツ型に近いといえよう。アングロサクソンは、ゲルマン系なのだ。そして私は日本人はいったいどちらのほうの型になるのだろうか、と思った。日本人はせっかちであるかと思うと、法規をよく守るところもある。アメリカ人といえば、イギリス人よりも荒いところはあるが、ラテン系のように無政府状態的な運転はしない。そこで日本人は、おそらくドイツ型とラテン型の中間型にあたるだろう。
日本人はラテン型、ゲルマン型の両面を兼ね備えているのだ。お祭騒ぎが好きで、熱しやすくさめやすい。流行に浮き足立つという、躁病的なところがある。そして、小器用だ。
その一方では規則をよく守り、秩序正しい団体生活を送ろうとする願望が強い。日本人には騒々しさと、きちんとしたところが共存している。日本はどこか気候的に不安定であるので、人々が情緒的に不安定になるところがあるかもしれない。それでいて、もう一方では規律ある、落ち着いた生活があるのだ。
個性の時代 ミーイズムのすすめ 9章「民主主義」に潜むもの
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