トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ 世界全体が保守の時代に入った
外交評論家 加瀬英明 論集
四月の地方選挙では、保守・中道が圧勝した。保守主義への回帰ということが、さかんにいわれるようになっている。
今日は、地味な時代である。あるいは新しい保守的な時代が始まっているといってもよい。
これは地道にものがみられる時代といっても、よいのだろう。ちょうど三年前に、福田内閣が誕生したあたりから、このような時代が本格化したといえると思う。そして日本だけではなくアメリカでも、西ヨーロッパでも先進工業社会では、みな、このような時代を迎えている。
アメリカでも西ヨーロッパでも、日本でも同じように、戦後の再建時期が終わると、次に高度成長時代に入った。先進工業国の中では、日本がもっとも経済成長率が高かったし、いまだにもっとも高いが、あのころは程度の差こそあれ、日本だけでなく世界全体が高度経済成長的なムードにあった。いってみれば、派手な時代だった。
それから石油ショックが起こった。環境問題とか、資源問題がでて、先進工業国にとっては一つの曲がり角がやってきた。そして今、世界的に人間の意識の上でも、新しい時代が始まっている。いままでの時代は非常に派手で、地に足が着いていないような時代だった。それに豊かさが珍しかったから、浮ついたところがあった。そこで日本もそうだが、豊かな工業社会ではこれまでの高度成長期について反省をしたり、過去を見直そうとしている。
福田内閣も、太平内閣も地味であり、支持率が低いというが、いまの時代には地味であることがもっとも要求されているといえよう。これは日本だけではなく、アメリカでも、西ヨーロッパでも同じことがいえよう。
これまでとの一つの大きな違いは、高度成長期には進歩的な、アメリカで言えばリベラルな、ヨーロッパでも保守党のなかでさえ革新的な勢力が力を持っていた。社会主義的な影響を受けた考え方や、進歩的な考え方が、アメリカやヨーロッパで強かったのだった。アメリカではケネディ時代からそうなったが、民主党のリベラル派によって代表されてきた。
ところが世界全体が地味な時代に入ってくると、保守主義が進歩的なリベラルを圧する時代になってくる。華やかな高度成長の時代には、進歩主義者たちのロマンチックな、あるいは理想主義的な約束は現実性を持っているようにみえた。進歩主義者たちは歴史を通してもう永いあいだ、平等という夢を追い求めてきた。社会主義的な夢である。ところが皮肉なことに、この理想はイデオロギーによるよりも、高度成長によってみたされるような幻想をもたらした。平等であるのが当たり前であるような錯覚は、高度成長によってはじめて可能になった。
この結果、万人が努力にかかわらず、平等に富の分配にあずかれるというロマンが、ばらまき行政になってあらわれた。しかし、今日では東京だけではなく、アメリカでもばらまき行政は破綻している。このような意味では、ニューヨーク市の破綻は象徴的なできごとだった。ヨーロッパでいえば、〝イギリス病〟がはやったが、これもばらまき行政の申し子であった。
とにかく、いまのように自由世界全体で保守主義が、これほど力を持ったことはないだろう。社会主義政党も保守化しつつある。ロマンチックな時代が終わったのだ。ほんとうのところは高度成長が社会主義者や、進歩にもっとも力を与えたのだった。
高度経済成長は、人々に過剰な自信を与えてしまったのだった。だから本来、保守主義とは体質があわないものなのかもしれない。保守主義は過大な自信を持っていないものだ。だから進歩主義対保守主義、あるいは革新主義対保守主義といったように較べてしまうと、いかにも古いものを頑迷に守るようなイメージがあるが、実際には保守主義は現実主義である。世の中の仕組みがどうあることがもっとも現実的で、人間に合っているかということを、求めるものである。
ところが高度成長も、自由経済制度を守ってきた保守主義によってもたらされたものであった。しかし高度成長は従来の価値体系を揺さぶることによって、道徳を狂わせた。本来は保守主義は道徳によって支えられているべきものである。
日本はもっともよい例であるが、高度成長は九〇%を中間層としてしまった(あるいは、そのような意識を持たせた)ように、平等な社会を生みだした。
個性の時代 ミーイズムのすすめ 9章「民主主義」に潜むもの
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