社会
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歌手で俳優の加山雄三が昨年末でコンサート活動を終了し、特別出演した大晦日のNHK『紅白歌合戦』が85歳の彼のラストステージとなった。慶応大学を卒業して東宝に入社し、1960年代に映画『若大将』シリーズでスーパースターになった。彼とは特に接点はなかったが、お父さんと夫人にはささやかな縁があった。
父・上原謙は往年の二枚目俳優で、年をとってからも艶聞で世をにぎわせた。私が「80過ぎても元気な男たち」というテーマの雑誌記事を作製した際には、岸信介、笹川良一らと共に登場してもらった。取材した記者は彼の丁寧な対応に感激していたが、確かに長寿の秘訣を披露する話には人柄がにじみ出ていた。
そして加山の奥さんになった松本めぐみとは1966年から翌年にかけて日本テレビで放送された人気ドラマ『これが青春だ』の撮影で何回か一緒になった。先方は主役級、こちらはアルバイトのエキストラだったが、高校の同級生という役柄だった。彼女は岡田可愛とともにクラスのヒロイン役。元気で名前どおり可愛さあふれる岡田に対して、繊細で陰影のある表情が印象的だった。
ただ、細身で華奢な感じがして、口の悪いエキストラ仲間は後ろ姿を見て、お尻の小ささを指摘していた。加山の自伝『若大将の履歴書』(日本経済新聞出版社 2010年)によれば、当時の彼女は体重37キロだったそうだが、高校時代は松山バレエ団でプリマドンナをめざしていたというから、お尻が大きいと都合が悪かったはずだ。
2人は1970年9月に結婚する。この年は加山の母が亡くなり、父と共に経営陣に名を連ねていた茅ヶ崎のホテルが倒産して23億円の負債を抱え、収入の大半は差し押さえられることになった。これが加山本人、そして夫婦の結束を強くしたようだ。
そして驚いたのは加山夫人が4人も子どもを産んだことだ。お尻の大きさと安産は関係ないのかと思った。加山の自伝には、「子どもは10人欲しいと妻に言っていた」とある。第1子は早産だった。男の子2人、女の子2人を授かったが、その間に何度も流産したと打ち明けている。彼が「もっと欲しい」と言ったら医者に止められたそうだ。当たり前だよ、若大将!!
山田洋
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