トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ 「独立」より「自尊」が大切
外交評論家 加瀬英明 論集
もう半年ぐらい前のことになるが、ある時、交詢社から電話がかかってきた。交詢社は、明治十年代に福沢諭吉が創立したクラブである。私は二年ほど前に、交詢社で講演をしたことがあった。その時には、慶應クラブによって招かれたのだった。
さて、電話があった時に、演題に何を選ぶか、たずねられた。講演を引き受ける場合には、依頼者のほうからテーマを指定してくることもあるし、こちらに委されることもある。ちょうど私は急いで原稿を書いていたので、電話口にでなかった。いつも私の仕事を手伝ってくれるS嬢が、「演題は、どうお答えしますか?」と聞いた。私は交詢社だといわれたので、とっさに「福沢精神と今日の日本」といってしまった。以前に慶應クラブで話した時のテーマは、国際情勢だった。
私は講演の日までに、『学問のすすめ』や、『福翁自伝』にもう一度目を通しておこうと思っていた。ところが忙しさに紛れて、そうすることをすっかり忘れてしまった。そして当日の朝に、S嬢からその日の予定をきかされて、気が付いた。慌てたが、もうどうしようもなかった。私は「福沢精神」などといってしまったことを、悔いた。私は福沢諭吉については『学問のすすめ』と『福翁自伝』のほかには、『女大学』を読んだことがあるぐらいで、それほどよく知っているわけではない。私が愚痴めいてそうこぼしたら、S嬢が「電話でご依頼があった時にそう申し上げたら、先方で一瞬息を呑まれて黙っておられました」といった。
私があまり深く考えずに「福沢精神」といってしまったのは、交詢社だったので、つい連想が働いてしまったのだった。私は天皇が昭和五十年に訪米されて、フォード大統領の夕食会に出席された時に挨拶されたなかで、日本にも明治のはじめに福沢という立派な民主主義者がいた、と発言されたのを憶えていた。言外に日本の民主主義はけっして占領中にアメリカから習ったものではない、といわれていたのだったから、誰が天皇の答辞を書いたのかわからないが、小気味がよかったと思っていた。
交詢社は銀座にある。私はタクシーのなかで、ふと、福沢といえば「独立自尊」という有名な言葉によって知られているが、いったい「独立」と「自尊」とでは、どちらのほうが大切なのだろうか、という疑問を持った。そして、おそらく「独立」よりも、「自尊」のほうが大切なのではあるまいか、と思った。「自尊」があれば、おのずから「独立」をもたらすことになろうし、また、「他尊」にもつながるはずである。
私は以前読んだことから憶えているままに、福沢翁が一歳のときに父を失ってから、母親の於順が子供たちに対して行った教育や、『女大学』のなかで、男たちが会合だとはいって徒飲徒食するといって、戒めていることなど、現在の日本にもあてはまる話を織り交ぜながら、話した。そして今日でも日本人は一人一人が自分に自信を持っていないので、「独立自尊」の精神を欠いており、福沢精神をもう一度学ぶことが、今でも求められているのではないか、といった。かえって事前に福沢翁について勉強しなかったので、肩に力を入れずに話すことが出来たのかもしれなかった。
講演が終わると、理事長室に通されて、役員や、福沢翁の孫にあたられるという福沢氏(もう八十歳をこえていられるということだった)から、よい話だったといって労われた。きっと礼儀正しいというのも、福沢精神の一部なのだろう、と思った。
個性の時代 ミーイズムのすすめ 10章 福沢諭吉と「自由」
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