トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ 「実なき虚像」におどる大衆
外交評論家 加瀬英明 論集
日本では戦後、政府の権威は失墜した。もともと日本では公共の観念が薄かったから、強権を持つ政府が存在していないとまとまりがつかなくなり、それぞれの集団が勝手気ままに振舞いやすい。福沢も自由と我儘との違いについては、繰り返し戒めている。公共の観念は自由な個人が集まった社会に培われるもので、社会に敵対して、助け合う仲間集団に分かれている、日本のような社会のなかでは育ちにくい。
今日の日本の社会も福沢の時代から、あまり変わっていないのではないか。戦後の日本は、昭和三十五年の安保騒動、昭和三十九年の東京オリンピック、昭和四十五年の大阪万博、ニクソン・ショック、日中国交正常化、田中金脈事件、ロッキード騒動、円高ショック、日中条約ブーム、グラマン騒動といったように、全国民が一つのことに関心を集中するブームや、ショックによって彩られてきた。残念であるが、日本の国民ほど流行に弱い国民はないだろう。日本の戦後史は波のように押し寄せては引いていったブームと、ショックを追ってゆきさえすれば書けるだろう。このようなブームや、ショックは、日本に独特なものである。日本は人口だけでも一億一千万人以上を擁する大国であるのに、困ったことである。私は国際政治を専門としているが、日本のような国民が何かあるたびにすぐに浮足立つ国では、外交と取り組むのはきわめて難しいことである。
このような流行は、新聞がつくってきた。日本では、新聞は発行部数が大きいほど権威を持っていると考えられているが、数百万部もでているとクオリティー・ペーパー(高級紙)ではなくて、大衆文化の一部とならざるをえない。今日、日本では全国三大紙は読売が八百万部、朝日が七百万部、毎日が四百万部というように、厖大な部数が発行されているが、内容や、論調がみな同じであるうえ、商業的にブームや、ショックを利用している。朝日が高級紙であるというが、かりに朝日新聞の発行部数が八百万部だったとしたら、誰が権威を認めるだろうか。誰も認めまい。海外では高級紙といわれるニューヨーク・タイムズが八十万部だ。読売が五十万部、毎日が三十万部だったら権威ある新聞だと考えられるだろうか。大きいから権威があるのだ。ロンドン・タイムズが三十万部、フランスのル・モンドが四十万部である。日本人は個人が自信を欠いているから、大きいほど権威があるとみなされる。大きいから権威があるというのは、福沢がいう「実なき虚威」である。
武士は男性的な社会をつくってきた。福沢が数え年で一歳数カ月の時に、父親の百助が死んだが、後に福沢が書いたものを読むと、しばしば父について語っている。母親の於順が父親について、どのような生涯を送ったか、どのような信念をもって生きたのか、繰り返し子供たちに話してきかせたからである。『福翁自伝』には、「一母五子、他人を交えず世間の付合いは少なく、明けても暮れてもただ母の話を聞くばかり、父は死んでも生きているようなものです」と語られている。
福沢は「天は自ら助くる者を助く」という言葉を遺しているが、自分の力で立ってゆこうというのは男性的な論理である。しかし今日の日本では人々は集団に身を委ねてしまって、依頼心が強くなってしまったようである。終身雇用、年功序列制度をはじめとする過保護な環境は、女性的なものであり、母型のものだ。
母親は子供のでき不出来にかかわらず、子供を等しく愛し、守る。ひきかえに子供は母親に甘え、頼る。
そこへゆくと父親は子供を差別し、規律を求め、義務を課す。そして自ら信ずる方向へ子供をひっぱってゆこうとする。今日の日本のリーダーは政界でも、経済界でも母親型である、自民党最大の派閥の長である田中角栄首相をとっても、支持者が絶賛する美点は「面倒見がよい」ということだ。これは日本的エトスでは最高の美徳であるが、純粋に母性的な特性である。髭を生やした母親である。もし田中派の代議士が福沢と同じような言葉を使ったら、「天は田中に縋るものを助く」といい替えることだろう。
社会には女性的な面も大切である。しかし今日の日本はあまりにも女性化してしまった。
男性的な論理を復活する必要がある。
個性の時代 ミーイズムのすすめ 10章 福沢諭吉と「自由」
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