トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ 「庶民的な政治」であってはならない
外交評論家 加瀬英明 論集
このように日本人が付和雷同するのは、しっかりとした自分を持っていないことからくるのだろう。日本人には江戸時代からこういった気質があったようである。江戸時代には五、六十年周期で「お蔭参り」というものが起こったが、数え方によって違うものの、三百万人前後が加わったお蔭参りが、明治元年の前の年にあたった慶応三(一八六七)年の「ええじゃないか、ええじゃないか」の騒ぎまで、五回あったとされている。天からお札が降ってきて、お伊勢さんにお参りに行くと、御利益があるという噂が広まる。このあいだテレビで和歌山県の老女が、祖母に習ったという「ええじゃないか」踊りを踊るのを見たが、おもしろかった。誰もが日常の規範を離れて、のぼりやまんどうを押し立てて、歌い踊りながら、おびただしい人々が伊勢へ向かった。三百万人といえば、明治初年の日本の人口は三千四百万人であるから、およそ十人に一人がお蔭参りに加わったことになる。全国的なヒステリー現象である。
お蔭参りがどうして起こったかといえば、今日の定説では、民衆が封建支配のもとで、息づまるような日常の規範から逃れ、一時的な開放を求めたといわれている。しかし、今日でも日本人は自分が属する集団のなかで個性を殺して生活しているので、このようなくびきから逃れるために刺激を求めている。そこで感情的になりやすいし、新聞や週刊誌をかりてヒステリックになるのではあるまいか。
お蔭参りについてもう一ついえば、当時、お蔭参りに参加したのは、士農工商の中で庶民に属する人々であった。武士は参加しなかった。「武士」は支配管理階級であるとともに、自分を持っていた。ところで今の日本は士農工商の中から「士」がいなくなっただけでなく、「農」も、「工」にあたる職人もいなくなってしまったようである。日本は全国民が価値観を持った、商人の国になってしまったようである。社会にとって商人の役割も大切なものであるが、全国民が物質的なことや、儲けのみに関心を持つ商人となってはならない。
士農工商は封建制度における身分制度である。このような垂直なものとしてみればよくないものであるが、水平なものとして考えてみれば、どのような社会でもこの四つの要素を必要としていよう。「士」だけであってはならないし、「農」だけであってもなるまい。どこの国であっても、この四つの要素のあいだに健全なバランスが存在しているのが望ましい。
そして「士」も商人的な面を持っているべきであるし、商人も「士」的な面を持っているべきであろう。日本は戦前は「商」を否定し、戦後は「士」を否定してしまった。
あるいは日本は庶民の国になってしまった、と言えるかもしれない。新聞はよく「庶民的な宰相」(皮肉なことに、田中元首相がこう呼ばれた)とか、「庶民には高嶺の花」とか、「庶民の怒りを買った」というように庶民が国の主人公になったように書く。私にはどうして庶民という言葉がよいのか、さっぱりわからない。「庶民」という言葉はきわめて危険なものである。「庶民」は、士農工商の「士」を除いた者をそう呼んだのだった。
明治維新までは武士階級のみが政治を行い、庶民は政治に対しては全く責任を持たされていなかった。そこで庶民は上から行われる政治に対してただ文句だけいっていればよかった。今日、新聞で「庶民的な政治」を求めるとか、庶民的であることがよいように書かれているが、庶民は自分は責任を持たず、ただ、野次馬のように騒ぎ、ブームに押し流される人々である。それに庶民は責任を負わされていないから、きわめて感情的である。
私は庶民に国をまかせることはできないと思う。徳川幕府が倒れてから、いくらか時間がたっているから、日本に庶民がいてはならないはずである。福沢がいったように、「一身の独立なくして、一国の独立はありえない」のだ。個人の独立なくしては、民主主義は成立しない。そして健全な民主主義なくしては、国の独立も危ういものになってしまうのである。
個性の時代 ミーイズムのすすめ 10章 福沢諭吉と「自由」
バックナンバー
新着ニュース
- エルメスの跡地はグッチ(2024年11月20日)
- 第31回さいたま太鼓エキスパート2024(2024年11月03日)
- 突然の閉店に驚きの声 スイートバジル(2024年11月19日)
- すぐに遂落した玉木さんの質(2024年11月14日)
特別企画PR