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外交評論家 加瀬英明 論集
日本の伝統の世界に迷い込んでしまうと、出口を失うことがある。戦前、軍国主義の道をたどった時がそうだった。また、戦後では三島由紀夫が、その例であろう。
三島氏が、東京市ヶ谷で自殺してからもう九年たった。昨年、陸上自衛隊を退職したある幹部将補によって、三島氏が死ぬ四カ月前の夏に、当時の保利官房長官に防衛について求められて提出した意見書の写しが、月刊『プレイボーイ』に発表された。三島氏が走り書きを添えて、この元自衛官へ送ったものであった。
私はある新聞に求められて、この意見書を読んだ。そして、もう一度三島氏の死について考えさせられた。私にとって読後感は、きわめて書きにくいものだった。というのは以前、三島氏の何周忌かにあたった『憂国忌』の催し会場で挨拶したことがあったし、発起人になったこともあった。私は内心、三島氏の死の動機についてさまざまな疑惑をいだいているが、当時は国民の防衛意識があまりに低かったので、三島氏の死を「諌死」として美化することがあっても、一つの宣伝として役立つと思っていたのだった。
ところが、意見書を読んで、いかにも三島氏らしい才気ある観察が所々に散らばっているものの、あらためて三島氏の考え方が歪んだものであることに、率直にいって慄然としたのだった。とくに今日のように国際環境の変化とともに、国民のあいだに健全な国防意識の芽が育とうとしている時に、三島氏のような考えかたは、危険なものですらある。
三島氏はこの意見書のなかで、日本の防衛を全うするための前提条件として、「ヒューマニズム以上の国家理念」を持つこと、「日本刀の原理を復活」すること、「武士」の伝統を尊ぶべきことを説いている。「ヒューマニズム以上」の価値とは天皇制のことであるが、三島氏の眼にうつった天皇制や、日本刀、武士への憧れが全文を貫いている。そして、やはり三島氏らしい口調で「ヒューマニズム」や、物的な力に対する侮りが語られていた。
「日本には日本刀というものがあるではないか、日本刀で充分だと云う考えに到達せざるを得ない。私は、こういうのは単に比喩としていっているのであって、日本は、日本刀だけで守れるとは限りませんから、五十歩百歩と云うことを考えれば、たとえ非核ミサイルを持っても、地対空ミサイルを持っても核でないから日本刀と同じことなのです。全く同じことなのです。それならば日本刀の原理というものを復活しなければ、どうしたって防衛問題の根本的なものは出てこないんです。我々が持っている武器は使えると云う前提がある。使えない武器は一つももっていない。使える武器だけを持っているのは日本の利点だと考えなければいけない。利点だと考えたならば、そのさきゆきというのは日本刀だと考えなければならない。」
あるいは、こう説いている。「人間のモラルというものを決定するものは、男と男のモラルを決定するのは決闘だったのです。そしてどっちが正しいか決められない時は、刀と刀で切り合って片方は死に、片方は勝った。それが正義だということになるのが、私は武器というものが持っているモラルとの関係だと思うのです。ところがこの原則が崩れた。ピストルの場合は未だ決闘が出来たのです。(中略)ところが決闘できない武器が出来た段階において、武器とモラル、モラルといっても魂と同じ事ですが、武器とモラルの関係が、だんだん曖昧になってきたのです。(中略)国会というのは言論の府でありますけれどもこれは言論の府という裏に、決闘の原理があったからこそ言論の府である。つまり、許すべからざるイデオロギーが、もとは刀で切り合っていたのが文明が進歩して刀を収めよう、その代り言論でやろうというのが私は民主主義であり国会であろうと思います。ところが決闘などというのを全部のけにして人間が口先で勝手なことをいえばイデオロギーになるのだ、口先でその場を糊塗すれば政治の理念もたつのだと思う様になってから、私は民主主義というものの根本的堕落が始まった」
個性の時代 ミーイズムのすすめ 11章 「日本の伝統」に学ぶ
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