トップページ ≫ 社会 ≫ 米国資本の支配が進む日本の流通業界
社会
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百貨店大手「そごう・西武」は現在、セブン&アイ・ホールディングスの傘下にあるが、米国の投資会社フォートレス・インベストメント・グループに売り渡される予定だ。今年2月のはずだったが、テナントの構成などで交渉が長引き、売却は2度延期され、その期限も不明という。
経営母体が代わることで、最も案じているのは、そこで働く人たちだろう。そごう・西武の従業員は約5000人で、約8割の人が労働組合に入っている。7月25日に組合は、従業員の雇用や事業の継続について経営サイドから具体的な説明がないので、情報開示を求めてストライキをする準備ができたと発表した。
そごうと西武が統合されていたのを知らなかった人も少なくないはずだし、その会社がイトーヨーカドーやセブン-イレブンのセブン&アイ・ホールディングスのグループ入りしていることについても同様だろう。それほど流通業界の再編がドラスティックに進められてきたと言えよう。
埼玉県にもそごうと西武は積極的な店舗展開をしてきた。そごうは1987年に大宮、1991年に川口に出店。川口店は2021年に閉店したものの、大宮店は今も存続し、労組の組合員は290人。西武も大宮に1969年に出店、1998年に雑貨店の「大宮ロフト」に業態転換したが、2013年に閉店。今は店舗ビルにゲームセンターなどが入っている。1986年開業の所沢店は2019年、百貨店と専門店を融合させたショッピングセンター「所沢S.C.」としてリニューアルオープンした。
かつては旧セゾングループ(西武流通グループ)の中核企業として首都圏を中心に300以上の店舗展開をした西友は、2002年に小売業世界最大手、米国のウォルマートの傘下入り。2021年には米国投資ファンドのKKRと楽天の子会社に大半の株式が移転した。
このような激動は両社の経営行き詰まりから始まった。西武の堤清二(1927~2013年)は父・康次郎の事業を異母弟の義明と分け合い、パッとしなかった百貨店を任された。本業の鉄道、ホテル、不動産などは義明が継承した。作家でもある清二は独得の理念と先進性にカルチャー戦略も加わり、事業は拡大した。そこにバブル崩壊が襲来し、銀行の不良債権処理もあって経営が悪化した。
日本興業銀行(他の2行と合併して現・みずほ銀行)に勤めながら法学博士になった水島廣雄(1912~2014年)が、1958年に経営不振で社長が交代した十合(そごうの旧名)の副社長に就任。1962年に社長になると、経営合理化に取り組んだ後、多店化路線を突っ走り、1991年に百貨店売上高日本一となった。しかし、1990年代末に業績が暗転、1兆8700億円の借金を抱え、2000年にグループ22社が民事再生法の適用申請に至った。
今も大宮そごうをよく利用し、1957年の東京店開店当時も知る私には、このような経過を調べるのは辛い。東京店のイメージソングとして作られたのがフランク永井の『有楽町で逢いましょう』だ。このレコードのB面は同じく佐伯孝夫・作詞、吉田正・作曲の『夢みる乙女』で、やはりそごうのイメージが漂う。NHK『紅白歌合戦』に初出場した藤本二三代が歌ったこの曲を数十年振りに聞いた。「♪花の街角
有楽町で」から始まる明るく可愛い歌にどこか哀調を感じてしまった。
山田洋
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