社会
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80年前の1943年10月21日に明治神宮外苑陸上競技場(現・国立競技場)で挙行された「出陣学徒壮行会」は、雨の中、制服制帽で銃剣をかついで行進する学徒たちの映像でよく知られている。間もなく100歳になる私の義母は、この壮行会に参列し、スタンドから出陣学徒を見送ったという。そのことは近年になって知り、いろいろ話を聞こうとしても、高齢のせいか口数が少ない。
1937年からの日中戦争により日本と米国・英国は対立を深め、1941年には太平洋戦争が始まったが、日本は次第に苦戦を強いられ、兵員、特に第一線の指揮官を補う必要に迫られた。大学・高等専門学校の在籍者は兵役に服することが猶予されていたのを、東条英機首相が閣議でその猶予を停止した(理科系と師範系を除く)。
全国各地での壮行会がすむと、臨時徴兵検査で体格や健康状態を調べられ、合格者は希望により陸軍と海軍に分かれ、12月に入隊した。学園は人数が減り、急に寂しくなった。さらに翌春には学徒出陣第2弾の徴兵検査が始まり、兵役を免れていた理科系・師範系の学徒についても、その条件が厳しくなった。
入隊した彼らを待っていたのは、古参兵による教育という名の体罰だった。その間にも戦局は悪化の一途、学徒兵たちも捨て身の特別攻撃隊に組み入れられた。戦いの中で比重を増した航空機の操縦には知的能力の高い若者が求められ、彼らがつぎ込まれたのだ。特攻作戦では4160人が亡くなったが、海軍の神風特攻隊として戦死した士官搭乗員769名のうち85%が学徒兵だったとされる。戦争体験を書き残した学徒兵も多く、人生や国家についての真剣な問いかけは、読む者の心を揺さぶり、貴重な戦争記録となった。
彼らを見送った義母も戦争で学生生活を狂わされた。沖縄から上京して女子大学に入ったものの、乏しくなった国の食糧事情のため、郊外の農場での労働に追われた。「勉強する時間より農作業のほうが多かったよ」と回想していたという。
山田洋
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