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外交評論家 加瀬英明 論集
外国語を学ぼう。どのような外国語だってよい。
私は今日まで政治家や、財界人の〝国際度〟を計る時には、その人が定期的に外国語の新聞や、雑誌を読んでいるか、いないかということを尺度としてきた。もっとも外国語といったら、ほとんどの場合は英語となる。英語は何といっても世界の共通語であるから、どこでも通用するし、仕事にも役に立つからである。また英語で書かれた書籍や、定期刊行物は入手し易いという利点がある。
私がもし英語ができなかったとすれば、〝世界を見る眼〟を持てなかったことだろう。日本語で書かれたものを読む時には、どうしても日本的な発想の虜となってしまう。日本語はあまりにも永い間にわたって、世界から孤立した日本列島に住む人々の言葉となってきたために、日本語によって書かれるか、いったん日本語に翻訳されてしまうと、海外の事象も、日本化してしまって、いつのまにか日本的な現象にすり変わってしまいやすい。生々しい海外の現実を知るためには、どうしても外国語を知ることが望ましい。
私は商売柄、海外を知るのに英語の本や、新聞、ニューズ・レターに依存してきた。日本のジャーナリズムには、中東や、アフリカをはじめ、海外のニュースが少ない。また英語ができるから、海外の大学から講師として招かれたり、国際会議に参加するように求められる。私にとって英語は〝世界を見る眼〟となってきた。
もっとも英語は世界語であるので便利だが、英語である必要はない。フランス語でも、ドイツ語、韓国語、中国語であってもよいだろう。外国語であれば、何語だってよい。
外国語を身につけると、たしかに仕事の役に立つ。外国語を学ぶ多くの人々が、仕事に役立てようという動機から取り組むことになるだろう。外国人と商売ができるとか、社内で昇進が早くなるといった利点がある。しかし、外国語を知ることは、もっと大きな果実をもたらすものだ。かりに仕事に役立たなかったとしても、十分な報酬が得られる。
海外の事象も、いったん日本語となってしまうと、日本的になってしまって、ごまかされてしまう。実際、言葉が持っている力はふつう考えられているよりは、はるかに強いものがある。今、私が英語で話しているとしよう。そうすると考えかたから、さらに身振りまで英語国民的になってしまうものだ。もしドイツ語を話せば、ドイツ人的になる。もし私がフランス語や、韓国語ができたとすれば、フランス語で話す時にはフランス人的に、韓国語を話す時には韓国人的になるはずである。よく日本人が英語を話す時に西洋人のような身振りや、手振りをするために、浮ついて見えるものだが、仕様がないところがある。
アメリカ人の友人のなかには、日本語が上手な者が多い。だから時によって英語で話したり、日本語で話したりする。そして彼らが英語を話す時にはアメリカ人らしいが、日本語を話すと物腰まで日本人的になってしまう。言葉は一人一人の人間が生まれ育った文化的な体験を弱めてしまうほどに、強力な鋳型となりうるのだ。そうだといっても、日本人が外国語を読み話しても日本人であることを失わせることはない。やはり言葉を越えたものがあるのだ。それでも言葉は強い鋳型である。そこでもう一つの言葉を知ることによって、もう一つの世界に身を置くことができる。その言葉を母国語としている人々の発想を肌で知ることができるのだ。もう一つの世界を自分のものとするのは、楽しいことでもある。
個性の時代 エピローグ「外国語」を学ぼう
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