トップページ ≫ 社会 ≫ パレスチナの戦いに加わった日本人たち①
社会
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「忘れたね ホロコーストを イスラエル」 毎日新聞の人気川柳の入選作だが、イスラエルによるパレスチナ自治区ガザへの武力攻撃は人道危機とも言える状況だ。第2次世界大戦時のナチスによるホロコースト(ユダヤ人大虐殺)は世界中から非難されたが、今度はユダヤ人の国イスラエルによるパレスチナ人に対するナチスまがいの加害には、歴史の皮肉として片付けるわけにはいかない。
大戦後の1948年にパレスチナにイスラエルが建国されたのは、この地に2000年ほど前にユダヤ人の国があったからということと、欧米諸国の勝手な都合も加わった結果だった。しかし、ここにはパレスチナ人が住んでいて、土地を奪われた彼らは難民となった。中東戦争と呼ばれる衝突は何度も繰り返され、そのたびにイスラエルは支配地域を広げていった。
戦いをおさめるための話し合いも試みられたが、対立の根は深かった。昨年10月にイスラム組織ハマスとイスラエル軍の戦闘が始まり、ハマスとは関係のない多数のパレスチナ人が亡くなっている。
日本人としては、なすすべがなく手をこまねいているものの、心はパレスチナ人のほうに傾く。そこで思い出されるのは、半世紀も前に
パレスチナ解放人民戦線(PFLP)に参加すべく、レバノンのベイルートに向かった日本人たちのことだ。武装闘争で知られた日本赤軍のメンバーだった彼らは戦いで殺されたり、生き残っても行方をくらました。しかし、パレスチナでは英雄だった。
山田洋
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